この日記について
このサイトは筆者の個人的な公開日記である。ブログとは違い、日々の出来事や思ったこと、感じたことなどを『日記』として毎日書き残している。
インターネット上で日記を書くに至った経緯と移行の変遷についてまとめておく。
もともと文章を書くのが好きで、中学生くらいのころにブログを作り記事を書いていた。
大学 3 年生のときに、ブログとは別に、毎日の出来事を日記感覚で更新するプラットフォームが欲しいと思った。しかし、世の中にはブログのプラットフォームは山ほどあるが、日記のプラットフォームは全くない。そこで、当時、覚えたてだった Ruby on Rails を使って日記のシステムを作ることにした。
大学の授業がない時間や夏休みを利用して一気に日記システムを作り上げた。そして、2016 年 8 月 10 日に、その日記を公開した。GitHub Pages に移行したので、今はメンテナンスはもうしていないが、ソースコードは noraworld/diary-system で公開している。
日記を公開してからは、システムを改良しつつ更新を続けていった。毎日の出来事や思考をインターネット上に記録として残しておけるということに対して本当にワクワクしていた。そして何より、自分で 1 から設計したシステム上で運用するということもあって、毎日、日記を更新したりシステムを改良したりするのが本当に楽しかった。
もちろん本当に毎日更新できていたわけではない。数ヶ月間、半年間、更新しない時期もあった。それでもいつかはまた更新を再開した。
社会人になって数年が経過したとき、自分の中で考え方が変わってきた。それまでは自分でサーバを借りて運用して自分でデータを管理すること、つまり、自分の作り上げてきたものが自分のコントロール下にあることが至高だと考えていた。
しかし、人間、いつまでも同じ生活を保てるわけではない。もし、自分の今までの記録が詰まったサーバがメンテナンスできなくなったとしたら、そのデータは失われてしまうかもしれない。そのことが極端に恐ろしくなった。今まで積み上げてきたものを失いたくない。たとえ自分が日記を書かなくなってしまっても、今までに書き綴ってきたものは記録としていつまでもインターネット上に残しておきたい。
そう考えると、自分ですべてを管理するのにはリスクがあると考えた。せっかく 1 からオリジナルで作り上げたお気に入りの日記システムを卒業するのは心苦しかったが、記録を失うよりは幾分も良いと思った。
自分で管理しないとなるとどこかのプラットフォームに移行することにはなるが、結局そのプラットフォームも、サービスを終了してしまったら記録が失われてしまう。自分でシステムを作って管理するにしても、他社のプラットフォームに乗っかるにしても、絶対に記録が失われないなんてことはない。永久的に残すなんてことは不可能だとはわかっている。
しかし、それでもできる限り残り続けてほしい。では、そのためのベストなプラットフォームか何かと考えたとき、思い浮かんだのが GitHub / GitHub Pages である。
GitHub / GitHub Pages もいつかはサービスが終了してしまうのかもしれないが、GitHub は、ユーザのソースコードを 1,000 年間アーカイブすることを発表 している。
1,000 年後以降はどうなるのかはわからないが、次世代に残す、という名目を考えると、1,000 年後以降の未来でも残り続ける可能性は 0 ではない。
それに、GitHub は Microsoft の傘下 である。世界でも有数の大企業の傘下であれば、そう簡単にサービスが終了するとも考えにくい。
次世代に渡りソースコードを残そうとする思想、大企業の莫大な資金力の一員、これらの背景から、GitHub に記録を残すのが最も安全なのではないかと考えた。しかも、Git で管理するということは、更新の記録もすべて履歴として残るというわけだ。記録を残すことに誰よりも執着している自分にとってはこれ以上ないプラットフォームであろう。
これが日記を移行することになった理由だ。もちろん日記だけじゃない。ブログやメモなど、ありとあらゆるものを GitHub リポジトリ上で管理しようと考えている。それくらい、自分にとって記録とは人生における重要な事象なのである。
GitHub Pages で日記の公開を始めたのは 2021 年 12 月 25 日のことだ。この時点ではまだ今まで書いた分の日記を移行したわけではないが、とりあえず今後の日記は GitHub 上で管理しておこうと思い、移行作業に先立って公開することにした。少しでも早く大切な記録を安全な方法で、そして、日々の記録を失わないようにするために。
おそらくここに書かれている内容は、多くの人にとっては理解し難いものであろう。しかし、それで良い。誰かに理解されようとは全く思っていない。ただ自分が満足のいく形で記録を残し続けられればそれで良いのだ。この思想が理解できなくても、ここに書かれている日記の内容のほんの僅かな一部分でも誰かの役に立てば幸いである。