考えすぎると病むから深く考えるのはやめよう

今日は昼間ずっと考え事をしていた。なんか頭の中で過去にした自分の過ちを反芻してそのことで頭がいっぱいになってしまった。それ以外にも、今後の生き方 (仕事) のこととか、過去の記録のこととか、悩むことが多すぎて頭がパンクしていた。

その前にまず、今日は noraworld.blog の証明書を更新した。去年の 12 月ごろに、前のサーバ (this is a private diary) のストレージが 100 % になって証明書の更新もできなくなってしまっていた。それ以来ずっと証明書のエラーが出続けていたのだが、それを今日ようやく復活させた。

で、記事を振り返っていて、大学のころの サイバーハッカソン の記事を見て、大学のころをいろいろと思い返していた。

あらためて思い返すと、過去の自分が如何に恥さらしなことをしていたんだろう。そしてなぜ今日までそれを忘れていたんだろう。

別にサイバーハッカソンのこと自体は良いとしても、今までのことを振り返ると、Twitter で暴言を吐いたり、他人を非難するような発言を平気でしていた。思い返すだけでも頭を抱えたくなるくらいひどいことをしていたなと思う。

で結局、あまりにも過去のツイートがひどすぎて、これだけデータを残したがりな自分でもこれはさすがに残したくないなと思ってしまったのと、ちょうどそのころは社内 Slack の times が Twitter 代わりになっていて、Twitter の交流もほとんどなくなっていてやらなくなっていたから、アカウントを削除した。

でも今になって思えばなんで削除したんだと思う。あまりにもひどいツイートをしすぎていたにしても、2012 年くらいからずっと記録し続けてきたものを消してしまうなんて、あのころの自分はもう少し慎重になるべきだったと思う。

サービスのアカウントのアイデンティティを重要視する自分としては、アカウントを削除することはつまり「死」を意味している。別の新しいアカウントを作ったからといって、過去の自分の行いが消えたわけではないから、もうひとりの自分を演じてしまっていることになる。つまりアカウントが 2 つあることと同じようにアイデンティティが分裂してしまっているのだ。

しかもこれは削除してしまっては一生取り戻すことができない。ツイートのデータ自体はバックアップを取ってあったが、Twitter という世界からは自分は一度死んでいることになるのだ。

いくらひどいツイートをしていたからといっても、過去は消えないし、そのひどい行いも含めて自分であるということを認めなければ前には進めない。過去の過ちに蓋をして見ないフリをしようとしても、結局はこうやって苦しむことになるのだ。

その暴言の中には、他人の嫉妬、他人の言動に対する不平不満、その他、汚い言葉の数々。それらを直接名指ししていないとしても、確実に他人を嫌な気持ちにさせている事実と、心の中に後悔の念が残り続ける。他人を傷つけるということは巡り巡って自分を傷つけているということなのかもしれない。

(this is a private diary)

でも、どんなに後悔したって、過去は変えられない。自分がひどいことをした事実は変わらないし、あまりのひどさにそれをなかったことにしたことも取り消すことはできない。失ったものは、二度と戻らない。

それはわかっているのに、どうしても考えてしまう。こんなにひどい過去を過ごしていて、考えずにいられるだろうか。今日はそういう気持ちに囚われて、昼間の数時間ずっとベッドの上で天井を見つめながらずっと苦しんでいた。

いっそ死んだら、この苦しみからは解放されるのになあと考えていた。死ねば悲しみや苦しみから解き放たれる。そんなことまで考えていた。

でも、どんなに苦しんでもやっぱり過去は変えられない。だから、変えられない過去について苦しみ続けるよりも、「今」を生きるべきなんじゃないかという結論に達した。いや、本当はその結論は最初から知っていたはずなんだけど、でも自分の意思とは裏腹に、勝手に過去に思考を巡らせてしまう。

でもそれだと生きていくのが辛くなる…… というループに入ってしまう。だからもうこれはある程度訓練するしかないかなと思った。「今」に集中するには「瞑想」が良いんだった。そういえば最近はやっていない。過去に自分が調子良かったときの日記の記録と、瞑想の記録を照らし合わせれば、もしかすると相関があるのかもしれない。

だから、また瞑想を再開してみようかなと思った。それと、これはわかってはいてもなかなか難しいかもしれないが、もう過去は変えられないから、いちいち過去のことについてうだうだ言っても仕方ないんだってことを肝に銘じた上で、「今」をどう生きていくかにフォーカスしていこう。

やっぱ頭の中で繰り広げられた思考の断片を組み合わせて文章に残すのはかなり難しい。たぶん見返したらなんだこの文章ってなるだろう。でも良い。それが日記だ。文章構成の上手い下手とかどうでも良いんだ。記録を残すこと自体が大切なんだ。

でも、かといって完璧に記録を残そうとするとかえって続かなくなって記録が残らなくなってしまう。だって今日ほどの思考はともかく、考え事とかは日常茶飯事なんだから、いちいち毎日こんなに文章として書いて記録に残そうなんて思っていたら絶対続かないでしょ。

だから、気負わずに、簡単でも良いから、少しでも良いから、今後も記録を残していこう。

もう今日はこれに関してはこれでおしまい。完璧主義の悪い癖が出てしまう自分にお灸を据えてもう一度言っておく。振り返る記録としては充分すぎるくらい書いた。普段はこんなに記録を残そうとしなくて良い。

(this is a private diary)

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