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これを読むお前は幸せにはなれない。幸せになるのは諦めろ。

幸せになりたければ、幸せになろうとしてはいけないが、幸せになろうとしないようにしてもいけなくて、幸せになろうとしないようにしないようにしてもいけなくて…………

これを読むお前は幸せにはなれない。幸せになるのは諦めろ。

比喩の罠

「なんでもかんでも『東京ドーム』で例えるのをやめろよ!」と言われて、「たしかにそうだね、東京ドームでたとえるのはよくないね。これを東京ドームでたとえるとこうこうこういうことだね!」というのは、「東京ドームで例えるのをやめる」ことを理解しているとは言えない。

衝動の罠

「その場の衝動で決断しないほうが後悔せずに済む」かもしれないが、常にその場で決断せずに熟考していたら、絶好のタイミングを逃すことだってある。でも、そんなこと(未来のこと)はわからないし、考えても仕方ない。だからといって、「何も考えずに常に衝動に任せて行動するのが良い」というわけでもない。

執着の罠

ブッダは言った。「執着を手放せば苦しみから解放される」と。ここで「わかった! 執着を手放せば苦しみからは解放されるんだね!」といって、執着を手放すことに執着したら、苦しみからは解放されない。

「お金がたくさんあれば幸せになれる」という執着(思い込み)を捨てれば幸せになれるからといって、お金をがんばって稼ぐ意思を意図的に放棄すれば幸せになれるわけではない。「お金をたくさん持っていれば幸せになれる」とは限らないが、もしかしたらあなたにとってはホントウに「お金をたくさん持っていれば幸せになれる」かもしれないし、あなたが執着しているのはお金だけではないかもしれないからだ。

だから、そういう人にとっては、お金をたくさん稼がなきゃと思うそのプレッシャーを手放せば、結果的にお金が今より増えるかもしれないが、それを期待してプレッシャーを手放すプレッシャーを感じたら、やはりお金は増えないかもしれないし、幸せにはなれない。

ムカつくヤツがいても、その相手に執着せずに気にしないようにすることで苦しみから解放されるが、気にしないようにすることを気にしてしまったら、やはり苦しみからは解放されない。

「本当はやりたいことがあったのに、テレビを観始めたら止まらなくて結局やりたいことができなかった。だから明日からは観ないようにしよう」と思って、観ないことにこだわることで返って観たくなってしまい、仮に観るのを我慢できてもやりたいことには集中できなかったりする。かといって、観ないようにすることにこだわらないようにしよう、という思いにこだわってしまうのもまた同じなわけであり………………。

無為自然の罠

老子は言った。「無理してやろうやろうとしなければ、物事はうまくいく」と。ここで「わかった! 無理してやろうやろうとしないようにすれば物事はうまくいくんだね!」といって、やろうやろうとしないように心がけることをやろうやろうとしてしまうと、やはり物事はうまくいかない。

また、老子はこうも言った。「自分が何者であるかにこだわらなければ、自分になれるだろう」と。ここで「わかった! 自分にこだわらずに自然体でいれば、本当の自分になれるんだね!」といって、何者であるかにこだわらないようにする自分にこだわってしまうと、やはり本当の自分にはなれない。

「欲を捨てればうまくいく」からといって、「欲を捨てるようとする(そうすればうまくいくという期待をする)欲」を持てば、やはりうまくいかない。

放棄の罠

どんなにがんばって苦労しても、欲しいもの(たとえば、お金、肩書き、恋人など)が手に入らなくて、もういいやーって諦めたときに、あれだけがんばっても手に入らなかったものが手に入ることがある。頑なにならずに諦めることで、本当に求めていたものが手に入るものである。

しかし、だからといって意図的に諦めること(諦めることで手に入ると期待すること)で手に入るわけではない。手に入らなくても、まあいいかと、ほんとうの、ホントウの、本当の意味で思えたときに、手に入るかもしれないし、やっぱり手に入らないかもしれない。手に入ったとしても、本当に望んでいたものではないかもしれない。

科学の罠

かつてぼくは科学を盲信していて、瞑想をすればメンタルが安定すると聞き、7 〜 8 年にわたり、毎日欠かさずではないものの定期的に続けていたが、一向に効果を実感できなかった。それは、「瞑想すればメンタルが安定する」と過剰に期待していたからであり、そうではない状況が訪れたときに、「なんだ、やっぱり瞑想って効かないんじゃん」と思ってしまうからである。

瞑想しても必ず効果が現れるとは限らないから、効果が現れなくても「ま、いっか」と思うことが重要だが、「効果が現れなくても、ま、いっか」と思っていれば効果が現れるわけでもない。期待や見返りは、ほんとうの、ホントウの、本当の意味で求めてはいけないのである。そこまでいって初めて効果が実感できるかもしれないが、もし現れなくても、がっかりしてはいけない。それくらいの気概が必要なのである。

もちろんこれは瞑想に限らず、薬や治療に関しても同じである。この薬を飲めば、この治療を受ければ、絶対に精神が安定する、と思っていると、いつまで経っても根本的には治らない。一時的に治ったように思うだけである。それに失望すると、さらに悪化する。

⚠️ もちろん、だからといって投薬や治療が無意味と言っているわけではない。今があまりにも苦しすぎて希死念慮があるなら、薬は飲んだほうが良いだろう。必ず、医師の判断を優先するように。

他力本願の罠

「自分はどうがんばっても『善人』にはなれなくて、ついついイケナイことしてしまったり考えてしまったりするからクズ人間だ…… 幸せになれなくて当然だ……」と自分の無力さを心からホントウに認めて、「でも幸せになりたいんです…… こんなクズ人間でも救ってくれますか、阿弥陀さま……?」と純粋な気持ちで救いを求めると、感じていた罪悪感や苦しみから解き放たれて、本当に救われるのである。「悪人(ダメなヤツ)ほど救われる」のである。

しかし、だからといって「なるほど、悪人になれば救われるんだな!!」と自ら悪事に手を染めることで救われるわけではない。

余談だが、浄土真宗でいうところの『悪人』とは「自分の力では煩悩や執着を手放すことができない、自分の無力さを知った人」という意味であり、『善人』とはその逆で「自分の力で何事かを成し遂げられると思っている人」のことを指す。

なので、「自ら悪事に手を染める」のは、自分の力で悪事を働かせることができると思っているので、ここの定義でいうところの『善人』に該当するから救いの対象にはならない。「自分の力で努力して幸せを勝ち取れると思っているなら、救いなんか求めずにとっとと幸せになればよかろう」ということだろう。

「『南無阿弥陀仏』と称えながら合掌すれば救われる」……。それは単に「神様仏様を信じていさえすれば救われる」といった怪力乱神の類ではなく、非常に奥深い哲学(仏教)なのである。

幸福の罠

あなたは、人生でなにかを成し遂げる(お金持ちになるとか有名人になるとかモテまくるとか……)ことで幸せになれると思い込んでいるかもしれないが、必ずしもそうとは限らない。本当のあなたは、平凡な毎日を過ごすことに無上の幸福を感じる可能性もある。

そうであるなら、無理して何かを成し遂げようとするのではなく、毎日の平凡な生活にありがたみを感じて生きていくことで幸せになれるということである。その結果、思いもよらない縁が巡り、結果としてお金持ちになったり有名人になったりモテまくったりするかもしれない。

しかし、だからといってそれを期待して、10 年、20 年と何事も起こらずただ時が過ぎていくだけだったとして、「お前のいうとおりにしてもなにもいいこと起こらなかったじゃないか!」と文句をいうのだとしたら、やはりあなたは「幸せとはなにか」をまるで理解していないと言わざるを得ない。

幸せとは、「どっちでもいい」「どうなってもいい」の限りを極めることであって、本当にそうなったとしても、そうならなかったとしても、その現実を受け入れて納得することこそが本当の幸せなのである。

究極的なことを言えば、お金持ちになれなくてもいい、貧乏になってしまってもいい、逆にお金持ちになって金目当ての人しか周りに集まらなくなって人間不信になってしまってもいい。有名になれなくてもいい、すでにある今のある程度の知名度を失ってもいい、逆に有名になって炎上することになってしまってもいい。モテなくてもいい、嫌われてもいい、逆にモテまくってスキャンダルを起こしてしまってもいい…………。すべてを受け入れられるかどうか。

だからといって、無理やりすべてを納得するように自分に言い聞かせることで幸せになるわけではない。そもそもそんなこと考える時点で「期待」しているのだから、考えること自体をやめなければならない。しかし考えるのをやめること考えるのもまた「期待」になるわけで…………。

「「「「罠の罠」の罠」の罠」の罠」の………………

「幸せ」や「理想」などを含めた、この世のあらゆるものは、言葉では正確に表すことができない。無理やり記述するなら、「〜ではない」「〜ではない」と表現するしかない。

これに気づけば、悟りを開くのは、難しくはないが、簡単でもない。でもだからといって、「悟りを開くのは簡単でもあり難しくもある」ということではないし、「悟りを開くのは難しくもないし簡単でもない」ということでもない。

幸せになるためには、幸せになろうとしてはいけないが、幸せになろうとしないようにしたら、幸せにはなれない。幸せになろうとしないようにすることをしないようにしても、やはり幸せにはなれない。そんなことは考えないようにすべきである。しかし、考えないようにすることを考えてしまうのもいけないのであって、考えないようにすることを考えないようにすることを考えないようにするのもいけなくて……………………。

無限に続く概念は、言葉では説明することができない。あとは自分の人生でこれを体感するしかない。がんばれ。

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