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念願だった完全週休 4 日制の仕事を手に入れ、1 ヶ月も持たずにクビになった件

THE 虚無感

念願だった完全週休 4 日制の仕事を手に入れ、1 ヶ月も持たずにクビになった件

はじめに

ℹ️ この記事は『無職になったあげく童貞をこじらせた哀れな男の戯言』の挿話として書いたものです。もっと言えば、後述する『悟りを開くきっかけとなった体験談』として独立して書く予定だったものを、先述の記事の流れで書かざるを得なくなり、しかし話が脱線したから結果的に別記事として書いたものになります。そのため、先にそちらを読むことをおすすめします。

労働もお金もただの生存ツール

ぼくは今、フリーランスのソフトウェアエンジニアとして働いている。でも、自分がやりたいことはこれじゃない…… という気持ちが強い。お金にはならないけど、こうしてブログ書いたりするほうが楽しかったりする。だから将来的には、執筆活動じゃないにしても、こうして自分でなにかコンテンツを作ることで生活できたらいいなと思っている。

そのためには時間が欲しい。正直、お金とかどうでもいい。お金なんかただの紙切れ、何をして得たのかそれ単体ではわからない曖昧な数字、ただ生活を維持するためだけの媒体としか思っていない。だから、週 5 日も働くのが苦痛で仕方がなかった。

束の間の高揚感

そこで、フリーランスの案件を探してくれるエージェントにかけあって、週 3 日程度の案件を紹介してもらった。他にもその案件を受けたい候補者がいたらしく、向こう側の採用担当者は悩んだらしいが、選考の結果、ぼくが選ばれた。

こうして、3 月末でもともと契約終了することが決まっていた週 5 日の案件が終わり、4 月からは念願の週 3 日労働で生活費を稼ぎつつ自由な時間を謳歌することができる、はずだった……。

しかし、なんということだろう。今までも職場(会社)が変わったことでやる気がなくなることはあったのだが、今回も案件が変わった結果、やる気が出なくなってしまった……。念願の週 3 日労働だっていうのに、どうして……。

理由その ①: 手放すまいという執着によるプレッシャー

その理由は自分の中ではもう分かっている。いくつかあるのだが、まずひとつめは、「プレッシャーが半端なかった」ということ。

さらっと週 3 日稼働案件をエージェントに見つけてもらったと書いたが、実はけっこうレアらしい。職業によって違うのかもしれないが、ソフトウェアエンジニアとなるとやはり基本的には週 5 日でフルで稼働してほしいという案件がほとんどだ。もちろん今回のように週 3 日程度の案件もあるが、枠が少なかったり求められるスキルが高かったり、「この機能を改修してください。それが終わったら契約終了です」といった期限付きのものだったりすることも少なくない。

そんな中、他の候補者を差し置いて獲得し、条件面では念願だった案件をついに手に入れたんだから、これは絶対に手放さずに「真面目に」がんばろう、という「執着」が生まれていた。ここで重要なのは「真面目に」と「執着」の部分だ。

ぶっちゃけ、仕事したくない。正確に言うと、正社員かフリーランスかを問わず、雇われ労働をする根本的なモチベーションが得られない。どこまでいっても生活のためでしかない。先に述べたとおり、自分の想像力やアイデアでコンテンツを作って生活したいと思っている。だから大学卒業してから今に至るまでに続けているこの仕事は、そうした仕事へのめぐり合わせまでのつなぎとしか感じられていない。こうした活動で生計が立てられるのなら、間違いなく今の仕事はやめるだろう。

だから、正直企業には申し訳ないと思っているが、「真面目に」仕事をすることができない。どうしても省エネというか、仕事中でもプライベートのことをやったりしながらダラダラ仕事をすることになってしまう。

週 5 日も働いていると、平日の業務終了後は疲れて創作活動をする気力がなかったりするし、土日だけだと足りない上に平日の仕事のために無理して午前中に眠い目をこすりながら起きたりしているので、もうちょっと寝たい……となって平日の稼働中と同じ活動時間すら確保できなかったりする。それが非常にストレスだった。だからこそ仕事中でもプライベートのことをやったりしていた。

だけど、今回の週 3 日稼働案件は、そんな生活を変えられるかもしれないと思った。週 3 日労働なら週 4 日も休みがあるわけだから、週 3 日は「真面目に」働いて、プライベートとのメリハリをつけようと思った。貴重な案件だから、週 3 日稼働になってもなおこうしてプライベートのことを挟んだりして進捗が遅いとみなされて契約終了になったらきっと後悔するだろうと思っていたからだ。

それゆえに、「真面目にやらなければならない」「この案件は貴重だから、絶対に手放してはならない」という執着が生まれ、それがかなり精神的に苦しくなっていた。今まで勤怠管理サービスは、とりあえず「仕事中」という間(朝 ◯ 時 〜 夜 ◯ 時)は、用事で長時間外出したりしない限りはそのまま稼働時間として計上していた。

でもこの案件ではかなり厳密に、ここからここまで稼働していて……というのを報告していたので、今までのダラダラやっていた感じの部分を除くと、夜まで仕事していても全然稼働できていないじゃん、ってなってかなりストレスだった。

理由その ②: 自由の刑

ひとつめの理由が長くなってしまったが、ふたつめは「自由過ぎる」ということだった。

3 月末まで受けていた週 5 日案件では、10 時に朝会(ミーティング)があるのでそれまでに稼働開始しなければならなかった。つまり 10 〜 19 時をベースにして稼働していた。ぼくは超夜型なのだが、夜中になにかやりたいことがあっても、次の日のことを考えると寝なきゃな……となって、結果的にそれが生活リズムを正しくする動機となっていた(やりたいことが夜中に思いついても長く夜ふかしすることができないのはストレスでもあったが)。

だけど今回の案件は、基本的に稼働時刻に制約がない。つまり、1 日 8 時間として見積もった場合の週 3 日分の稼働をしていれば、それで OK ですという契約だった。早い話が、週 24 時間稼働していれば問題ないということ。だから、夕方から稼働を開始して夜中に終わるとか、ちょっと足りなかった分を追加で 1 日数時間だけ稼働するとかでもいいということだ。

そうなってくると、生活リズムを自制するのが苦手なぼくにとっては副作用を生んだ。たしかに条件で言えばこっちのほうが自由なんだから嬉しいに決まっている。だけど、自由過ぎるがゆえに生活リズムを整えるモチベーションがなくなり、3 月末まではあれだけ規則正しかった生活も少しずつ崩れていき、これを書いている今では朝 9 時過ぎとかに寝て夕方 17 時前とかに起きるみたいな、わかりやすい昼夜逆転生活になってしまった。

今までの人生でもこうした昼夜逆転生活はあったが、案件が変わった途端にこれだから、やっぱり仕事とか学校とかって生活リズムを整えるうえではけっこう大事なんだなと思った。いや、世の中が朝型で回っているのに自分のクロノタイプは超夜型だから、むしろ仕事上のそうした縛りがなくなって、ある意味で自然なかたちに戻ったとも考えられるのだが……。

それはさておき、別に生活リズムが狂っても、夕方とか夜から稼働して夜中に終わるみたいな働き方でいいじゃんって思うんだけど、夜はいつものんびりするというかプライベートの活動をしたりしたいから、仕事のやる気が出ないんだよね。そして先述した「真面目に仕事してるときだけ稼働時間とする」と相まって、1 日の稼働時間がどんどん短くなっていき、結局、週 3 日じゃ週 24 時間に到達しないから、追加でもう 1 日稼働する、みたいなことになっていた。

理由その ③: 人間関係が希薄

そして最後のみっつめだが、これが『無職になったあげく童貞をこじらせた哀れな男の戯言』の「さみしい」につながる一番の要素「人間関係が希薄になった」ことだ。

あまりに自由すぎて、必須で参加するミーティングが一切存在しない。一応、任意参加ということで週 1 日 30 分程度、正社員の人(正社員は必須、フリーランスは任意)が集まるミーティングがあって、最初のうちはみんなの人となりを知るために、そして交流を深めるために参加していた。しかしやはりそれだけでは不十分だった。

人間関係が希薄だと仕事のやる気が一気に下がるということは、今までも何度か経験しているので知っていた。だからこそ(ミーティングとか本当はめんどくさいとは思っているんだけど)任意のミーティングにもあえて参加していた。ミーティングとかめんどくさいと思っているから本来ならこれも条件的には嬉しいはずなのだが、まったく何もないと、本当に何のためにタスクをこなしているんだかわからないというか。誰も足を踏み入れることがない砂漠のどまんなかで雑草の世話をしてお金もらって何が嬉しいんだっていう……(本当にそういう仕事をやっている人がいたらごめんなさい 🙇‍♂️ でも調べた限り研究目的とか保全活動を除けば恒常的に毎日それだけをする仕事はまあないと思う)。ただでさえ(雇われ)労働のモチベーションがなく稼ぐ意味も見いだせないのに、いよいよただの苦行みたいに思えてしまう。

淋しい

まあそんな感じで、もともと交友関係も乏しいぼくにとっては職場の人間関係が希薄になるのは致命的だった。仕事のモチベーションがガタ落ちするっていうのもそうなんだけど、外にもほとんど出ない(人と会話をしない)から、本当に孤独になる。SNS もなんだか虚しいし楽しくなくて、全然見ていない。

さみしさを感じているのかもしれない。なぜ「かもしれない」なのかと言えば、ぼくは昔から一匹狼で、一人で過ごすことが好きだからだ。高校卒業(18 歳)から現在(30 歳)に至るまでずっと一人暮らしをしてきた。親とも離れてすごく清々している。一人暮らしを始めてからというもの、実家に帰りたいと思ったことはただの一度もない(まあそれは親との関係が劣悪だからという理由もあるが)。だから、めんどくさいしがらみにまみれることなく一人の時間を謳歌できるのは性に合っている。そしてこれ自体は別に勘違いではないように思う。

しかし、だからといって、まったく人と関わらないようになってしまうとそれは度が過ぎているというもの。それに、一人でいるのが好きといいつつも、ほぼ毎日のように彼女とイチャイチャする妄想をしているのは、やはり人の温かみを求めている証拠なのではないのかと思う。

クビ

実は、先週(4/20 - 4/24)はまったく仕事をしていない。週 24 時間どころか、0 時間だった。ひたすらこうしてブログ書いたりしていた。先に述べたとおり仕事するのはいつでもいいから、特になにか言われることもない。それがますます仕事のやる気を失わせる原因となった。

そして、当然そんなだから、来たるべき連絡が来た。戦力外通告(契約終了のお知らせ、いわゆるクビの通告)だ。それはちょうど本日 27 日の 17:34 のことだった(公開日は少し遅れているが)。なんということだろうか。この記事を書き始めたのがそのちょっと前だったから、まさに今の案件のことを書き始めたところで今の案件の終了が確定した。まさにこの記事を書いているとき、ニートになることが確定した。

悟りを開くきっかけとなった体験談として書くはずだった

実は、もともとこの記事は『悟りを開くきっかけとなった体験談』として執筆する予定だった。

あれは週 3 日案件が始まって間もない 4 月 8 日のこと。案件が始まった初日(4 月 1 日)からさっそく「この案件は貴重だから絶対に手放したくない」という強い執着や、今までさんざん省エネでやってきたのに急に「真面目にやらないといけない(ちょっとでも不真面目にやって契約終了したら悔やみきれないからそうはしまい)」という執着を抱え込んでしまった。

そのせいですごく苦しくなった。念願だった週 3 日労働になり、さらに稼働時間帯も自由で(必須の)ミーティングもない……。「自分の望みが 100% 叶った上にさらに自由度マシマシで超理想的な案件が、ついに始まった……!」と思った。それだというのに、どうして、どうしてこんなにも、つらいのだろう……。

悟りの開き方を完全に理解したので解説させてください』などの記事を書いたのもこれがきっかけだった。この案件を始める前(4 月よりも前)の時点で、すでに東洋哲学や仏教のエッセンスは学んでいた。そして、ほー、なるほどね、と一応言葉では理解していた。

だけど、この時点ではまだ本当の意味では分かっていなかった。だから苦しさを感じていた。そしてその原因をここで書いたことのように頭の中で整理して、ようやく気づいた。「あー、そうか、これが『執着』か」と。自分の望みが叶ったからといって、それが手に入ったからといって、それを手放すまいと執着するから、苦しみが生まれるんだな、と。ちょうど東洋哲学の本をいろいろ読んでいた時期だったこともあって、すべてが符合した。言葉ではなく、自分の人生、特に今の自分の境遇に当てはめたとき、すべてを理解した。

また、これは本当に心から望んでいるものでもないのだということも理解した。3 月も終わりにさしかかり、週 3 日の案件のオファーがもらえなければ、4 月からはニートになってしまうという状況下で、ついに念願だった週 3 日案件が手に入った。あのときの高揚感ったらない。有頂天だった。ついに天が味方してくれたと思った。しかしそれは虚構だった。その 1 ヶ月後の今、ぼくはその職を失い、ニートを眼前にし、虚無感に襲われている。

条件が良いから意欲的に仕事ができるわけではなかった。自由度が高いからモチベーションが維持できるわけではなかった。根本的に、求めているものが違った。それは理性や論理的思考ではわからないなにか。人間関係が良好な会社は今までにもいくつかあった。でもそれで満足していたなら、辞めてなんていなかったはずだし、週 3 日労働が良いとも思っていなかっただろう。

どん詰まりであることが分かっただけだった

今回わかったのは、どんなに条件が良くても、自由度が高すぎたり(生活リズムの調整などの自制ができなかったり)人間関係が希薄だったりするとモチベーションが維持できずやる気を失ってしまうということだが、じゃあ逆にそれがクリアできれば理想の職場になるかといえばそういうわけでもないということだ。実際、そうじゃない(人間関係が良好である程度の規則正しい生活が求められる)職場もあったが、それも続いていない。

だから根本的に、こういう雇われ労働が自分に向いていないっていうことなのかもしれないが、かといってこの執筆活動で今の自分が生計を立てられるわけでもないし、他にやりたいことがあるわけでもない……。だから、本質的に、自分が何をやりたいのかは、未だに分かっていない。

あれだけ求めていた週 3 日稼働案件だってのに、いざ始めてみると自分で勝手にストレスを抱えて、そのうえモチベーションがわかなくてわずか 1 ヶ月足らずでクビになる。4 月から始めた案件で、先述の通り先週はまったく仕事していないから、3 週間しか働いていないことになる。しかもそれも週 5 日じゃなくて週 3 日で。

悟りを開いたとかえらそうに言っていたけど、それは理解した瞬間の一時的なものであった。分かっているけど、分かっていなかった。今までの思考のクセや執着を、そう簡単に手放せるわけではなかった。人生は思い通りにいかないとつくづく思い知らされるな。老子の言葉が身に沁みるぜ。

生きる気力を失った

さて、何の準備もない状態での契約終了となったため、どんなに急いでも少しの間はニートになることが確定した。というか今は急いで次の案件を探すモチベーションもあまりない。これだけ「がんばろう!」と息巻いていた案件であっけなくクビを切られてしまったため、意気消沈している。

フリーランスはいつ契約打ち切りの連絡が来るか分からない不安定な雇用形態(準委任契約)だから、準備もなく職を失うこと自体は今までも何度かあったしそのたびに一時的にニートになったりしていたから、それ自体は別に気にしていない。でも、理想的な条件だと思っていたところでこうもあっさりと契約を切られてしまうというのは、やはりちょっとショックな感じがする。

実を言うと、週 3 日案件自体は、今回が初めてではなかった。去年も別の企業でそうした案件があった。だがそちらはいわゆる受託開発で、企業向けに提供するシステムの一部の機能改修をしたら案件終了というものだった。それに加え、チーム開発でもなく、基本的には仕様書を与えられて、その仕様通りに一人で空いた時間に改修作業を行って、それを納品する、っていう感じだった。だから今回と同じように時間的制約が一切ない(納期以外)し、人間関係も今回以上に希薄だった。そしてこのときも今回と同じような状況に陥っていた。

それを考えると、やはり自分にとって週 3 日労働というのはつくづく縁がないなーと感じる。たぶんこういう状況でも黙々と与えられた仕事をこなせる人はこなせるんだと思う。しかし自分には無理だった。満を持して手に入れた念願の案件(成果を出せている限り終了期限なしの週 3 日案件)で、これだけ初速の意欲はあったというのに、3 月末までの週 5 日労働のときより意欲が失速してしまったのは、もはや縁起が悪いとしか言いようがない。宇宙がそれを認めてくれなかったようだ。

さて、これからどう生きていこうかね。また去年・一昨年のように貯金が底をつき、借金(奨学金)・税金・保険料の支払いに追われる地獄に舞い戻るのだろうか。こんなんで人生を継続する意味は果たしてあるのだろうか…………………………。

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