Post

AI の発展に恐怖を抱くのは無意味

現代版『諸行無常』

AI の発展に恐怖を抱くのは無意味

現代版『諸行無常』

ちょっと前に SNS にこんなことをつぶやいた。

究極的な話、いまあなたが(苦労してやっている)あらゆる知的活動(ホワイト)は、今後 AI が爆発的に発展したら完全に代替できると考えると、もはや「苦労してなにかを成し遂げること」に意味はなく、ただそのときの自分がやりたいことをやる、つまり「好きなことで、生きていく」が人間としてもっとも幸福な「生きる道」なんだろうなと悟った。

「知的活動」って言ったけど、それは今の AI の延長線上にあるから想像しやすいってだけで、さらに時代が進めば、AI を搭載した自立型ロボット(アンドロイド)が登場し、肉体的活動(ブルー)も代替できるだろう。あらゆる活動が、代替可能、または今より圧倒的に簡単になるなら、苦労(自分がしたくもないこと)をして何かを成し遂げることに、何の意味があるのだろうか。

現代における「諸行無常」とは、こういうことなのかもしれない。「形あるものはいつか壊れる(→ だから今この一瞬を大切に生きる)」だけじゃなく「あらゆる人間の活動は、いつかは代替可能(→ だから今この瞬間にやりたいことを大切にする)」なんだろう。であるならば、あらゆる物事をやるかどうかの基準は「やりたいことかどうか」で決める以外にない。そこに「自分が作った、自分がやった」という付加価値をつけることができない以上、そう考える以外に、苦労せずに生きる方法は、ないのではないか。

気づき

「苦労すること」を否定しているわけではない。なので、「苦労」は「わざわざ苦しみや苦痛を感じてまで何かを行うこと」と表現したほうが良かったかもしれない。

それはともかく、結局人生ってこういうことだったんだなーと悟った。

永久不変なものは一つもない

約 2,500 年前を生きたブッダは悟った。「欲しいものは(苦労してもなお)絶対に手に入るとは限らないし、今あるものはいつかは失われる(絶対に失わないようにすることはできない)。そこに執着するから苦しみが生まれる(絶対に手に入れたい(手に入れないと幸せになれない)という執着、今ある大切もの(お金、地位、名声、愛する者)を絶対に手放したくないという執着)。だからこそ、今を大切に生きなさい」と。

これは、今でも、いや、今だからこそ、より重要な意味を持っているのではないかと思う。AI がこれだけ進化した今、特にホワイトカラーの職に就く人たちは「このまま AI がどんどん発展していったら私は職を失ってしまうのではないか」と不安を感じているかもしれない。

あるいは逆に、特にブルーカラーの職に就く人たちは「これは AI がどんなに進化しても人間にしかできないことだ」と高をくくっているかもしれない。

諸行無常の観点からすると、どちらも誤った考え方であることに気づく。江戸時代に手紙や荷物を運んだ飛脚という職業は、現代にはもう存在しない。その代わりにトラックの運転手をはじめとする職業が誕生した。

この時代の変わり目に、飛脚という職業に執着した者は職を失い路頭に迷ったかもしれない。しかし、この変化を受け入れ、運転技術を学んだ者は食いっぱぐれることがなかったはずだ。

時代は常に移り変わる。永久不変なものは一つもない。2,500 年前を生きたブッダですらそう思ったのだ。AI をはじめとする科学技術の進歩がめざましい現代は余計にそうだろう。

変化を恐れるのは人間の本能だが、そこに執着すると苦しみが生まれる。怖いのはわかっている。でも、時代の変化は止められない。無理に止めようと政治に訴える人もいるが、それでも変化は止められない。残酷だが、それが現実だ。

で、あるならば、変えられないその現実を受け入れて、「今のこの生活がなくなってしまっても、ま、いっか」と受け入れ、新しい価値観を受け入れる勇気を持つことが重要なのである。

歴史に名を残す著名人も、このことをよくわかっていた。

わたしたちが本当に練習すべきことはひとつだけ。お互いの存在を手放すことだ。しがみつくことは誰にでもできる。そんなことは学ばなくてもいい

リルケ

しがみつくことが私たちを強くすると考える者もいるが時には手放すことが私たちを強くするのだ

ヘルマン・ヘッセ

わたしたちは、計画した人生をあきらめる意志を持たねばならない。未来に待ち受ける人生を受け入れるために

ジョセフ・キャンベル

今の苦労は証明もできない

だからこそ、今の自分が本当にしたいこと(楽しいと思えること)をする、これ以外に、幸せに生きる方法はない。本当はやりたくもないのに苦しみや苦痛を抱えて何を成し遂げたとして、それが何になると言うのだ? その苦しみを伴って成し遂げたことは、未来の AI(それを搭載した自立型ロボット、アンドロイド)が一瞬で成し遂げてしまう日が来るだろう。

究極的なことを言えば、未来になって「これは AI ではなく当時の私が苦労して作ったものなのだ!」ということを完全に証明することもできない。未来の AI がそれをそっくりそのまま模倣できるようになるかもしれないし、作った日時を証明する技術も、将来的には破られるかもしれない(量子コンピュータが誕生すればおそらく今の暗号技術はすべて破られてしまう(今の技術ではホンモノの証明ができなくなる)であろうことを知っていれば理解しやすいだろう)。

今の苦労を未来で確実に証明することは不可能…… であるなら、もはや苦労に執着することに、何の意味もない。「今までの苦労は何だったんだ……」という悔恨の念は、文字通りそのまま訪れるだろう。

だからこそ、今が大事なのだ。今を大切に生きて、その連続的な瞬間をつなげてこそ、本当に幸せな未来がある。なにも、すべて無駄だからすべてを諦めて堕落して生きろ、と言いたいわけではない。本当は、やりたいこと(ダラダラすることではないなにか)が人間誰しも必ずあるはず。でも、目の前の「やりたくないこと」に忙殺されて、それが見えていないだけなのだ。

そうはいっても「目の前にやらなきゃいけない(やりたくない)ことはある」と思うかもしれないが、おそらくそれは、次に挙げるどちらか片方を思い込みをしている可能性がある。「本当はそこに楽しさを見出すこともできるはずなのに、執着が邪魔をしてやりたくないものだと思いこんでいる」か、もしくは「あなたの人生にとって実は本当はやらなきゃならないことではない(やらなきゃいけないと思いこんでいる)」のいずれかだ。

それぞれの状況に対してあーだこーだ言うつもりはない。人それぞれ状況(人生)が違いすぎるので、何が正解かなんて他人がわかるはずもないし、他人にそう言われてそのとおりにしたところで、どんな結果になっても納得できないだろう。それは、自分で決めるしかない。

だが、この考え方に従って生きていれば、どんな結果が待ち受けていたとしても、納得できるはずである。それはもしかしたら今の職を失う決断かもしれない。愛する者と別れなければならない決断かもしれない。どんな結末になろうとも、自分がそう信じて進んだ結果であるなら、後悔はしないはずだ。

逆に言えば、その決断が見栄やプライドなどの執着にまみれたものなら、どんなに世間が評価するような、周りが羨むような決断をし続けられたとしても、「なんか違うなー」という虚無感しか得られないであろう。

本当の自分の人生を歩むとは、周りの評価を気にして生きることでも、現状の安定にしがみついて生きることでもなく、自分が本当にしたいことをして生きることなのだと悟った。

不公平は永久不滅

こうして一生懸命苦労して働いている間も、金持ちは高級マンションの最上階で優雅にワインを飲んでいるかもしれないし、政治家は汚職をしているかもしれない。

でも、これを読んでいるあなたが日本人なら、治安の良さ、職の安定性、充実した福祉・娯楽を死ぬまで享受し続けられる(確率が高い)権利を産まれながらにしてすでに持っている。そして、それをなんの苦労もせず最初から持っているあなたを羨む外国人もいるであろう。

中世の貴族たちは、今の汚職政治家ですら足元にも及ばないほどの贅沢の限りを尽くしていた(酒池肉林)。

でも、現代人はめちゃくちゃ金持ちじゃなくても世界中を旅行することができるようになった。当時の貴族たちが同じことを望んでも、航海技術が未熟だから目的地に正確にたどり着けるかどうかはわからないし、荒波に揉まれて沈没するかもしれない死と常に隣り合わせだった。贅沢の限りを尽くした当時の貴族(世界中を旅行したかった貴族)が現代を見たら、きっと庶民にすら嫉妬するだろう。

一昔前は洗濯機も冷蔵庫も掃除機もないから、家事も全部人間の手でこなさなければならなかった。そんな時代を生き抜いてきた老人が、今の最新家電に頼る若者を見たら、きっとこういうだろう。「これだから最近の若者は楽ばかりして堕落している。ワシらの若いころは苦労してうんぬんかんぬん」と。

そしてこれは今後も続く。今の若者が老人になるころには、もっと AI が発展して人間が直接仕事をしなくても良くなっているかもしれない。そうなったら、今の若者(未来の老人)もこう思うだろう。「これだから最近の若者は楽ばかりして堕落している。ワシらの若いころは苦労してうんぬんかんぬん」と。

不公平は永久不滅だ。産まれた境遇を変えることはできない。ましてや産まれてくる時代を変えることもできないのだから、不公平そのものをなくすことは、今後どんなに平等な社会が実現しても不可能だ。不公平を嘆いても何も変わらないなら、受け入れて自分にとっての幸せを見つけるしかない。

生まれながらの超大金持ち(超富裕層の家庭に産まれた人)には、どんなにがんばって働いたってお金では勝てないだろうし、どんなに自分磨きをしても、生まれながらの美男美女よりはモテないだろう。

しかし、果たしてそれは本当にあなたが望むものなのだろうか? 生まれながらの超大金持ちに勝つことがあなたの夢なのか? 愛する者を見つけるのではなくとにかく誰彼構わずモテることがあなたの目標なのか?

もし本当に心からそう思っているのなら、それはそれで構わない。それを叶えたら良い。でも、そうじゃないなら、他人と比較して不公平を感じるのは、自分から不幸になりにいっているようなものだ。そんなことをしても空からお金が降ってくるわけでもないし、明日急にイケメンになるわけでもない。

幸せも永久不滅

結局、何をどう考えても万人に同じものが手に入ることは決してないし、時代がどんなに進んでも(2,500 年前も、今も、そして未来も)未来の豊かさをいま享受することは不可能だし、どんなに政治がクリーンになっても不公平がなくなることは絶対にない。

であるなら、周りと同じ環境を手に入れることに躍起になるのではなく、自分にとっての幸せを見つけることこそが、何があっても後悔しない(苦しまない)唯一の道である。

そして幸いなことに、考え方さえ変えれば、幸せはどんな境遇にあっても必ず手に入る。お金持ちじゃなくても幸せにはなれるし、容姿が整ってなくても幸せにはなれる。大事なのは、事実を受け入れて、自分の本当の気持ちに耳を傾け、勇気を持って前に進むこと。この考えを捨てない限り、そして考え方を誤らない限り、あなたの内なる智慧(本当の望み)は、決してあなたを裏切らない。

これを心から理解できたとき(悟ったとき)、あなたはもう、何者にも惑わされない。自分の脳が生み出すマボロシ(恐怖、不安、悲しみ、嫉妬、怒り、恥、失望など)にさえも、惑わされることはないだろう。

This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.