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「ま、いっか」という言葉の魔力

完璧主義の呪縛から少しでも解放されるための思考法

「ま、いっか」という言葉の魔力

完璧主義の呪縛と苦悩

自分は完璧主義な傾向がある。

この特性(性格)を聞いたときの人の評価は分かれるような気もする。実際、自分が高校生かそのくらいの時期に Twitter で完璧主義の苦しさについての悩みを吐露したら、「物事を完璧にできるなんて素晴らしいことじゃないか」と言われたことがある。本人に悪気はなかったのだろうが、まるで理解されなかった。

すでにこのエピソードの中で触れたとおり、完璧主義は、少なくとも自分にとってはネガティブな性格特性である。それがうまく機能するならいい。しかし人生における多くのタスクや物事は、完璧にできるほど簡単なものではない。完璧にするために何をすべきなのかを洗い出すだけでも日が暮れてしまう。

そもそも完璧の基準も曖昧だ。どこまでやれば「完璧」なのか。完璧主義ではこの明確な基準を設けないことが往々にしてあるので、いつまで経っても終わらない、これもやったほうがいいのではないか、あれもやるべきなのではないか、となり終わりが見えなくなってしまう。ゴールのないマラソンを走り続けているようなものだ。

なにより一番つらいのは、完璧にやろうと思うと途方もなく大変でものすごく時間がかかることが目に見えているので、それを始めることすら億劫になってしまうということだ。とりあえず始めてみる、ということができなくなり、すべての物事が面倒に思えてくる。本当はやりたいこと、やらなければいけないこと、目の前のタスクは山積みなのに、どれも手につかない……。そんな苦しみを抱えて鬱になることがよくある。

それに、完璧にしなくても結果は特に変わらないことが多い。いや、むしろこれくらいでいいかな、とある程度の見切りをつけて取り組んだほうが、初速も終わりまでの時間もスピーディだし、結果的にそっちのほうが自分にとって満足する結果になることすらある。つまり完璧主義は自己満足であり、完璧にしたから結果もよくなるというわけではない。

昔からそうした性格に悩まされており、それは今でも変わらない。頭では完璧に物事をこなそうとするのはやめようとわかっていても、あれこれと理由をつけて、どうしても完璧にやろうとしてしまうことがまだある。一種の思考の癖であり習慣のようなものだから、すぐに変えるのは難しいだろう。

魔法の言葉「ま、いっか」

しかし最近、完璧主義とそのつらさを少しだけ緩和させる思考法を見つけた。それが「ま、いっか」である。

言葉というのは不思議なもので、実際に口に出してみると、本当にそう思えてくる。口に出すのに抵抗があるなら、心のなかでそれを言語化するだけでもいい。

もう少し強力にするなら、そのあとに「どうせ ◯◯」というのをつけてみるのもおすすめ。たとえば、掃除。掃除って、汚くなっているところを見つけようとすると、ここも汚い、あそこも汚い、みたいな感じで、すべてやろうとしたら年末の大掃除になってしまう(まあ大掃除とかめんどくさくて一人でやったことないんだけど)。そんなとき「ま、いっか、どうせいま完璧にきれいにしてもまた汚れるし」と口に出す、あるいはそう心のなかで思ってみる。それだけで、心が軽くなってくる。完璧主義という呪縛から逃れ、「それでもいいんだ」と自分に許可を与えられるようになる。

歯磨きとかでもそう。自分はだいぶ前から治すべき虫歯があるのだが、まだ治せていない。だから少しでもその進行を遅らせるためにできる限り丁寧に歯磨きをしようとしているのだが、一時期は歯磨きに最大 30 分ほどかけるくらいだった。今はまだマシだが、それでも 15 分とかかかることもある。正直しんどい。

でも本来は、同じところをそんなに何度も磨かなくても汚れは落ちるものだし、本当に虫歯を予防するなら、自宅での歯磨きに加えて、定期的に歯医者に行って汚れを落としてもらうのが理想である。だから家での歯磨きに毎日そんなに時間をかけるのは正直過剰だというのは頭ではわかっている。

でも完璧主義がそれを許さなかったりする。「もしちょっとここで磨く時間を減らした翌日、少し歯が痛くなったらあのとき磨く時間を減らしたからだ」みたいな勝手な理由をつけて時間を減らすことをやめさせてくれない。もう家での歯磨きのレベルではほぼきれいに磨けているとわかっているにも関わらず、だ。そんなときもこの「ま、いっか」が使える。

完璧主義からの脱却は、筋トレのようなもの

もちろん、これだけで完璧主義が完全に克服できるか、というと正直そこまでの魔力はない。実際いまでも完璧主義的な思考に陥ることがある。まさにこうした文章を書くときも、人に見せるものだから誤字・脱字があってはならない、とか、文章の体裁を整えて完璧に章立てをしてきれいに書かなければならない、とか、そんなことを考えてしまって、結局なにも書けなかったり、そもそもなにを書こうとしていたのかわからなくなってしまったりする。ひどいときには、自分はこうあらねばならないから、これを書くのはダメだ、とか、人格にまで完璧性を求めるようになって、まったく文章を書く気になれなくなったりすることもたまにある。

だけど、これは一種のトレーニングだと思っている。一回の筋トレでボディビルダー大会に出場できるほどムキムキになるのが不可能なのは誰もが知っている。それと同じで、これも一回一回の効力はそんなに強くはないかもしれないけど、この思考を習慣にすることで、徐々に完璧主義の呪縛から解き放たれていくのではないかなと思っている。自分自身もまた、その道の途中を行く段階である。

科学的にも、やはり完璧主義にはメリットはあまりなく、デメリットのほうが目立つので、できる限り克服したほうが良い性格特性であると説明される。Facebook を作ったマーク・ザッカーバーグも “Done is better than perfect” って言っていたし、あれだけデカいサービスを作った創業者もそう言っているのだから、そういうことなのだろう。自分が思う完璧なものを数個だけ生み出すよりも、合格と思えるようなものを百個生み出すほうが、価値があると思っている。サービスだってゲームだって書籍だって、何がヒットするかなんてわからないからね。

さいごに

あなたが完璧主義を自認していて、それで人生がうまくいっていて、かつそれに対して何の不満もストレスもないのなら、それは大変けっこうなことである。しかし、自分のように、完璧主義であるがゆえに苦しんでいる人の参考になれば幸いである。

This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.