セックスという行為は本当にトクベツなのか。30 歳童貞が夜中に考察してみた
夜中になに書いてんだオレ……
まだまだ
最近よく東洋哲学や仏教に関する文章を書いている 👇
- 悟りの開き方を完全に理解したので解説させてください
- ウンコよりも汚いオレの執着をネットの海に漏らしてみた 💩
- 悟りの境地に達するとはどういうことなのかを知ったら、悟りの境地に達することが怖くなった件
- 仏教とは、セックスである
- 今が楽しけりゃそれでいい。縁起を大切に生きよう
- 科学を信じれば信じるほど幸せからは遠ざかる
- 『知らぬが仏』は究極の無知によって悟りを開くことを表しているかもしれない説
- 愛とは何かを悟った
- AI の発展に恐怖を抱くのは無意味
その中で、今までさんざん執着を手放そうとかえらそうに書いてきたが、もしかしたらぼくはまだセックスへの執着を手放せていないのかもしれない。まさに「そういうお前はどうなんだ?」って話だ。
じわじわ
すでにいくつかの記事で書いているし、もはや価値のないカミングアウトだが、ぼくは童貞だ。現在 30 歳で、今年 31 歳になるが、いまだにセックスどころか彼女がまともにできたこともない。まあ現代では(特に日本では)そんなに珍しいこともないから、これをカミングアウトしたところで「あっそ、だからなに?」「ふーん、可哀想だね(笑)」程度でしかない。
しかしやはり全体で見ればすでに卒業している人のほうが多数派であることを考えると、セックスに対するトクベツ感は自然と膨らんでくるものだ。
もちろんこれも東洋哲学(仏教)的観点からするとただの妄想でしかない。風俗嬢のセックス(という行為そのもの)に対する価値観と童貞のそれが同じなわけがない。子どものころから親の事情で海外を転々とする生活を送っていた人の海外旅行に対する気持ちと、大人になってはじめて海外旅行する人のそれが同じではないように。
もやもや
大人の動画に出てくる素人の女の人(本当に素人なのかはさておき)を見ていてもリクツではそのとおりだと思う。彼女らは全員が全員、プロフェッショナルとしてやっているとは限らない(プロ意識を持ってやっている人もいるだろうが)。行為そのものへの興味ではなく別の目的でやっている人も少なくないだろう。
だから、楽しくなさそうというか、嫌々やっているように見える女の人もよく見かける。オジサンがめっちゃ気を遣って接しているものの、的を射ない回答を繰り返すだけで仕草もそっけない、行為中も積極性が感じられないことも少なくない。
まあ彼らのほうもそんなもんだと割り切っているのかもしれないが、もしあれが夢にまで見たセックスなのだとすると、あんなんで本当に満たされるのか……? とは思う。
あるいは、専属カメラマンがおらず完全個人撮影だから、ちゃんと録れているのかが気になりすぎて、数秒おきに覆面から覗く目がカメラをチラチラ見ている動画もよく見かける。あれだってマインドレスすぎて全然集中できていない(楽しめていない)よなーと思う。
まああれはセックスそのものではなく撮影がメインになっている面もあるから一概には言えないのだけど、世の中にはただ行為を行いたいというだけの目的で異性と出会ったりする人もいる(いわゆるヤリモク)という話もよく聞く。仮にそれが、違法性のない範囲で双方の合意のもとに成立したとしても、果たして本当に心から満たされるものなのかと疑問を感じずにはいられない。
身体はスッキリするだろう。だが、心はどうなのか? 本能を満たしたはずなのに、なぜか虚無感が残る……。そんなふうにはならないのだろうか。
いやいや
どういうタイプのセックスも経験したことがないから完全に想像でしかないのだが、客観的に見ると満たされていなさそうなセックスもあることを考えると、いま感じているこのセックスに対するトクベツ感も、やはりただの思い込みなのであろう。
そもそも好きな人もいない状況でセックスという行為そのものに憧れやトクベツ感を抱いている時点で、それが執着の現れだとも言えるのかもしれない。
以前、友人がソープにはじめて行ってきた話(いわゆる「初体験」ではない)をしてくれたのだが、スッキリはするものの、やはり心が満たされないから、良い体験にはなったけどもう行くことはないだろうと言っていた。また、平均からするとだいぶ遅れて卒業した人の話の中でも、「実際にやってみたらこんなもんかーっていうあっさりした感じだった」という意見があった。
もんもん
一度も体験したことがないから、きっと恍惚とした素晴らしい気持ちになるのだろうと勝手に思い込んでいるだけで、その行為だけを経験しようとお店に行って初めてを捧げたとしても、「あー、なんだ、こんなもんか……」と拍子抜けするのかもしれない。
それが本当に好きな人との行為ではないから、余計に「あー、こんなんで童貞捨てちゃってよかったんだろうか……」って後悔する結果になる可能性もある。そうなったら、けっこうお高いサービス料を支払って何やってんだろうなーっていう虚無感に襲われるのかも。
でも、本当に執着していないんだったら、いちいちこんなことで悩んでないでさっさとお店で卒業してきて「あーはいはいこんな感じね」って済ませてしまえば、「どんな感じなんだろう? 気持ちいいのかな? ドキドキするのかな?」みたいに気になって悶々とすることからも解放されて(二つの意味で)スッキリするんだろう。
うだうだ
それでもお店に行くのを躊躇っているのは、初めては本当に好きになった人に捧げたいという執着(初体験をトクベツ視する執着)があるからか、逆にものすごく素晴らしいサービスを施されてしまうがゆえに沼にハマってしまったらどうしようという恐怖があるからか、はたまたお金や不公平に対する執着が、心の底ではまだ払拭しきれていないのか定かではない。
まあまあ
まー逆を言えば、本当に好きな人とはじめてセックスすることになって緊張しすぎて大失敗してトラウマを抱える可能性だってあり得るわけで、さらにいえば、仮にそうなったとしても初体験で失敗したことすら笑い話にしてブログのネタにしたらバズる可能性だってあるわけで、論理的に考えて何が正解かなんてないんだよな。
人間万事塞翁が馬。無為自然。お店で卒業するべきかどうかなんて、考えたってしょうがない。行ってもいいし、行かなくてもいい。起こるに任せよう。童貞のまま生涯を終えたっていいじゃない。それがなんだって言うんだ。
