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ウンコよりも汚いオレの執着をネットの海に漏らしてみた 💩

もはや執着しなくなった自分に恥など存在しない

ウンコよりも汚いオレの執着をネットの海に漏らしてみた 💩

はじめに

💡 この記事は、本当は 悟りの開き方を完全に理解したので解説させてください の一部として書いていたものですが、あまりにも長くなってしまった上に自分語りが過ぎるので、別の記事にすることにしました。話の流れ的には 悟りの開き方を完全に理解したので解説させてください が先にあるので、まずはそちらを一通り読んでからこの記事に戻ってくることをおすすめします。

不公平に対する執着

ぼくの場合は、記録への執着が最も強かったです。なぜ「記録」なのかというと、世の中の不公平に対して強い憤りを感じていたからです。

友人も自分も大学を卒業しているのに、家庭が裕福だった友人は大学に通う費用を親に払ってもらったので借金(奨学金)がありません。一方の自分は、家庭が裕福ではなかったので借金(奨学金)が今でもあります。その総額(返済開始前)は 450 万円です(今も返済中)。

同じように大学を卒業しただけなのに、生まれる家庭が違っただけで、かたや借金なしで社会人生活がスタートし、かたや 450 万円の借金を背負った状態でスタートする。しかもそれでいて社会的な優遇があるかと言えばそんなものはなく、借金がない人たちと同じように税金を納め、同じように保険料を負担します。こんな不公平なことがあってたまるか! と思っていました。

労働に対する執着

そして、仕事をするのが苦痛でした。仕事の内容そのものが苦痛だったわけではない(そういうときもありましたが)のですが、基本的に労働とは、生活のため、お金のためにやるもの。

でも、その生活のためのお金は、先ほど言ったような借金や税金・保険料などでどんどん取られていく。では、がんばって働いて少しでも給料を上げることに、いったい何の意味があるのだろうか…… と思っていました。

ぼくは大学を卒業してから現在に至るまで、IT エンジニア(プログラマー)として働いています。それそのものは別に嫌いではないのですが、自分のオリジナルのコンテンツを作ってそれをみんなに共有して生活したいという夢があります。自分が生み出したコンテンツを所有し、それを共有したいという欲求です。「オリジナルのコンテンツ」というのは形はなんでも良くて、今こうして書いているこの記事もその一つです。自分の想い、アイデア、考え方を共有したい、そんな感じです。

でも、(正社員か業務委託かの形式を問わず)企業に雇われて労働をすると、その対価としてお金を得ることはできますが、そこで作った成果物はすべて会社に帰属します。「この部分は自分が書いたプログラムだから自分のものだ!」と主張することは法律上できません。これは先ほど話した「自分が生み出したコンテンツを所有し、それを共有」することと矛盾します。

自分で自由にアイデアを膨らませてそれを作るのではなく、会社からこれを作りたいからプログラム書いてください、と言われたものを作る。もちろんそのプログラムのアルゴリズムとかコーディングの仕方には創意工夫の余地がありますが(それ自体は楽しいものですが)出来上がったもの(動くもの)は自分のアイデアを形にしたものではないですし、しかもそのプログラムは「自分のもの」とは主張できません。

時間と労働力を消費して、お金に変換する。でもそのお金も、ただの数字で(色がついていなくて)お金だけを見ても、汗水垂らして稼いだのか、ちょっとバレないようにどこかからくすねてきたのかはわからない。しかも汗水垂らして稼いでも、それは借金(奨学金)の返済と税金と保険料に消えていく。その取られ方も、同じ国ですら生まれた家庭の裕福さで差がつく上に、国によって税法が異なり同じように稼いでいても取られる量に違いが出る……。こんな虚しいことがあるだろうか? と思っていました。

もっと言えば、今の仕事でどれだけスキルを身に着けて昇進して、どれだけ残業して稼いだとしても、金銭面においてたぶんですが風俗嬢には勝てません。でも、そのときのぼくにとっては労働はただの「メシのタネ」という認識しかなかったので、できるだけ短期間で最小限(生活できる程度)だけ稼ぎ、できるだけ余暇の時間を増やすことが仕事に対しての価値観だったのです。

誤解しないでほしいですが、風俗という仕事に偏見はないですし、とても大変な仕事であることは理解しています。でも、どのような類の努力をしても、どんなにその仕事をしたいと願っても、ぼくは風俗嬢にはなれません。その不公平さに不満を抱いていました。

そして風俗嬢という仕事は、さっきの価値観だけを勘定すれば(大変な面を一切度外視して条件だけを見れば)、ぼくにとって魅力的な職業です。短時間で必要な生活費を賄えるし多くの(日本の)労働者のように週 5 日で働く必要もありません。なりたいのになれないという憤りで、会ったこともない風俗嬢に勝手に嫉妬していました(もちろん自分の執着を理解した今となっては、風俗嬢になりたいとは思いませんが)。

ちょっと話がそれましたが、つまり、仕事としてやっていることが本質的に楽しいと感じていても、それを無視して「この時間は労働搾取をされているのだから、とっとと終わらせて自分の時間にするべきだ」と思っていました。仕事を早く片付けることそのものは悪いことではないかもしれませんが、そこには常に「労働搾取されている」という苦しみが生まれていました。

時間に対する執着

そして業務終了後や休日は、こうした(雇われの)仕事を少しでも早く抜け出せるように、自分がやりたいと思っているコンテンツ制作に力を注がなければならないという強い焦燥感に駆られていました。でも仕事で疲れていたり、うまく寝付けなかったりして休日に寝不足感が出ると、それだけでもうものすごくイライラしてしまいました。コンテンツ制作なんかする気力も出ないくらい、憤りが半端なかったです。

「コンテンツ制作をしたい」という気持ちそのものは、執着を手放した今でも持っているので、これはぼくの純粋な「やりたいこと」です。なのに、「この雇われの労働を抜け出すためには、とにかく多くの時間を割いてそのための活動をしなければならない」という強い執着に取り憑かれていたせいで、ストレスで実際には思ったように取り組めないどころか、やりたいことなのにそれをやると苦しい、という本当に地獄のような日々でした。

記録に対する執着

「で、冒頭の『記録への執着』ってなんなのよ?」ってことなのですが、こうした執着(お金に対する執着、不公平に対する執着、仕事に対する執着、自由時間に対する執着)を(悟りを開くまで)どうしても払拭できなかったぼくは、すべて記録に残そうとしました。つまり、「こんなにも虐げられている自分の人生を、後世に語り継ぎたい、逐一記録に残すことで、ここにこういう悲劇の人生があったという証を、この世の何処かに遺したい」、そんな感情です。

そのために、自分の身の回りに起こったこと、ふと頭をよぎったこと、これから起こす行動、そのすべてを、記録に残そうと躍起になっていました。日常生活の大半を記録に費やしていました。

毎日日記を書くのに数時間かけ、読書をしたらその読書に何分費やしたのか(その時間)、読んだ部分についてなにを思ったのか(その感想)を逐一記録し、ムカつく相手(執着の対象)がいたらそのときのことを鮮明に思い出してひたすら罵倒する文章を書き、その他にも昨晩は何時間寝たか、今日はなにを食べたか、おしっこを何 mL 出したか、うんちを何グラムくらい出したか(汚い話でごめんなさい 🙇‍♂️)…… しかもそれに飽き足らず、爪を切ったら爪を切ったって記録しなきゃいけないんじゃないか? とかさらに増やそうとしたりもしていました。

マッチングアプリをやったら、その会話の履歴をすべて記録していました。男だけが利用料を(しかも通常のサブスクの何倍も)払わないといけない、しかもそれでいてテキトーな返信をされたり無視されたりする上に、そもそも相手にすらされないのは不公平だと思っていたからです(これも執着です)。

正直、気持ち悪いです、ストーカーです、病気です。「だからいつまで経っても童貞なんだよ!」って、今なら言えます。当時の自分は、苦しすぎてそんなこと認められませんでした。しかもさっきの話からわかるように、風俗に行くのは「思うツボ」なので絶対に行くもんか! とも思っていた(これも執着から来るもの)ので、素人童貞にすらなれない惨めな「自分」でした。

しかもそれを「やらなければならない、少しでもサボったら、人生の証が失われる」という強い義務感でやっていました。もっと言えば、こうした記録を自分が死んだあとも保全しなければならない、だからハッキングされないようにセキュリティはガチガチにしたり、データがあるアカウントへのサービス連携(読み書き権限などの許可をサードパーティ製アプリに与えること)に極端に消極的になったり、いつ終了するかわからないサービス(しそうだなと勝手に判断したサービス)の利用を避けたり(それが保証されているサービスなんかこの世にないのにね)、なるべくお金がかからないように運用したり(維持費がかかると死んだときに消える)、様々な執着を連鎖的に生み出していました。正直苦しすぎて頭がおかしくなりそうでした。家族にも誰にも頼らない状態で、死んだ後もなにかを絶対に遺したいって、死なないようにしたいみたいな無理難題と同じですからね……。

今でもこうした記録は続けています。この文章だって、一種の記録です。でもそれは、やらなければならないと思ってやっているのではなく、そうしたいからしているのです。だから「執着」はしていません。記録をすることそのものが悪いのではなく、執着することが苦しみなのです

その他の執着

他にも、お金がなさすぎて生活もままならない状態のときに、税金と保険料が高すぎて払えないのに督促状が何度も来たり、クレジットカードの支払いが遅れて(ただでさえお金ないのに)自動的にリボ払いになって(合計すると)ものすごい利息を請求されたりして、国や金融業に憎悪を抱きながら生活していた時期もありました。

借金(奨学金)はあるのに、生活費も払えない状態で税金も保険料も要求してきて、こんな状態で仕事をするのも虚しいし本当に生きてる意味ってなんなんだ…… って、かなり精神的に憔悴しきっていて、かなり苦しかったです。

まだまだ執着はあったのですが、これ以上書くとさすがに自分語りが過ぎるので、ここらへんにしておきます(本当は親への不満に対する執着とかもあって、もう何年も親の顔を見ていないし連絡もしていませんが、それもそれで 1 本の記事になりそうなレベルなのでここでは割愛します)。

自分用に執着リストを作ってこれもネットに漏らすことにしたので、気になる人は見てもいいかもしれませんが、見苦しくて吐いてしまっても当方は一切の責任を負いません 👉 執着リスト

ウンコよりも汚いじゃん

こうやって自分の執着を振り返ってみると、「うわ、ウンコよりも汚えじゃん 💩」と自分でも思います。こんな文章をネット上に公開するなど、人前でお尻を出してウンコ漏らしてるのと同じです(さっきから下品な表現ばかりでほんとごめんなさい 🙇‍♂️)。

当然のことながら、これらの執着を手放せずに苦労していたころの自分では(これを公開することは)到底できないことでした。こんな恥ずかしいこと(弱いこと)をムカつくヤツに見られて罵られでもしたら、怒りのあまりその人を *** してしまうかもしれない…… とか思っていたからです。

でも、それもこれもすべて、執着だ、妄想だ、と気づいたら、「人前でウンコを漏らすことに何の抵抗があるのだろう?」と逆に不思議になってしまいました。恥の感じ方を忘れました、悩み方を忘れました、苦しみ方を忘れました、敗北を知りたいです。

もちろん、言葉の意味どおりのことをするのはほとんどの状況においては犯罪ですし、そもそもそれをやる意味も価値もぼくにはないです。ですが、この「人前でウンコを漏らす」のと同等の恥(であろうこと)を共有することは、いままさに苦しんでいる人にとってなにかちょっとでも役に立てるのではないかなと思い、書いた次第です。「恥を忍んだ」のではありません、「恥を忘れた」から書けたのです。

人によってなにに執着しているかは本当に千差万別なので、これを読んだだけであなたの悩みがたちどころにすべて解決するわけではないのですが、どんな人が持つどんな悩みも、根本的な原因は「執着」だよ、ということを伝えたかったです。こんな「ウンコまみれの執着」を持っていたぼくですら、苦しみから解放されました。

執着さえ見つかってしまえば、あなたの人生はイージーモードです。いや、そこから本当の人生が始まる、と言ってもいいかもしれません。こんな汚い人生を歩んでいるぼくが言うのです。あなたにできないとなぜ言えるのでしょうか?「できぬなら ロンパしてみろ ホトトギス」。

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