この世界はぼくの妄想で、ぼく独りだけなのかも……
『哲学的な何か、あと科学とか』を読んでいて、数日前から思っていたこと
『哲学的な何か、あと科学とか』を読んでいて、この世界は実は自分だけなのではないか……? 自分独りの妄想なのではないか……? そんな恐怖と孤独感を抱いた。
マッチングアプリはすべて AI である可能性を否定できない
今は AI がだいぶ成長してきているので、ほぼ人間と同じような受け答え、いや、場合によっては人間よりも人間らしく返答してくれることもあるように感じる。そんな時代を生きる我々にとって、「人間とはなにか?」を考えるのは、とても哲学的で興味深い問いだと思う。
たとえばマッチングアプリを想像してみてほしい。写真を見て、いいねを押して、マッチして、メッセージのやり取りをする。ここまでは、すべてオンラインで完結している。これがもし、AI だったらと考えると、あなたは信じられるだろうか?
「いや、さすがにそれはないでしょ」と思いたいところだが、実際のところ、確認するすべはない。画像生成技術も向上しているから、いくらでもそれっぽいプロフィール写真を生成することができる。自己紹介文もそれっぽいものを AI に無限に書かせることができる。
そしてあなたがいいなと思った女性・男性をいいねして、マッチする。その後のやり取りに関しても、それっぽい会話を返してくれる AI だっていう可能性は否定できない……。
もちろん、これはものの例えだ。ぼくが本気で「マッチングアプリはみんな AI だよ」と思っているわけではない。しかし、原理的に、そういう可能性は否定できない。そしてそれは、ここまで発展した AI を日ごろから活用している人にとっては、納得できる話なのではないだろうか。
ChatGPT に向かってチャットをしているから、そこから生み出される回答が AI のものである、ということがわかっているが、もしこれがそういうインターフェースではなくて、誰かしらの人間とチャットをするインターフェースだったとして、実際には中身は AI でした、ってなっても、実際のところ気づかない人もいるのではないだろうか。特に、企業のお問い合わせチャットサービスのようなかしこまったものや会ったこともない人との会話ならなおさらだ。
であるなら、マッチングアプリのインターフェースをしていて、マッチした人とメッセージのやり取りができるけど、中身は実は AI だった、なんてことも完全に否定することはできないのである。人によっては文面がすごく雑だったり誤字脱字があったり、返信が気まぐれだったりするかもしれないが、それすらも模倣することが既に可能だったりする。「雑に書いて」とか「あえてたまーに誤字脱字をランダムに入れるようにして」とかプロンプトを書けばいいだけだし、返信が返ってきたり来なかったりするのも、乱数で何パーセントかの確率でそうなるようにするとか、返信タイミングも乱数で何分後あるいは何時間後に回答するとかってやればいい。具体的な確率は、過去の人間同士のメッセージのやり取りの膨大なデータから分布を抽出すれば、それらしいものになるはずだ。
「でも、実際に会う約束を取り付けてどこかで待ち合わせするなら、人間と会うことができるのだから、いくら仮定の話だと言っても、それは無理があるのではないか?」と思うかもしれない。『現時点では』たしかにそうかもしれない。それは、まだ AI がただのインターフェースであり、物理的な『肉体』を持っていないからだ。
しかし、ロボットなら見たことがあるだろう。たとえばペッパーくんとか。彼らは見た目からして明らかにロボットなので、一瞬で人間かどうか区別がつく。しかし、製造技術が格段に向上して、もしあの見た目が、人間そっくりなんだとしたら……? そこに先のような AI が搭載されて、会う約束をして実際に待ち合わせをしたら、指定の時間と場所に向かうように AI が判断して実際にあなたと会う……。そこまで考えると、マッチングアプリで見かける相手が「人間かどうか」なんて、最後の最後までわからないのではないだろうか……?
「いやいや、人間は人間の顔の自然さや表情の機微を正確に捉える脳を持っているから、さすがに人間そっくりの見た目にするのはさすがに無理なんじゃない? 不気味の谷現象とかもあるわけだしな」と思うかもしれない。たしかに技術的には相当難しいとは思う。でも原理的には不可能なわけではない。実際、AI なんてものが登場する前の AI もどき(人間から与えられた入力に対してそれっぽい回答をする Twitter のボットや企業のお問い合わせチャットなど)の時代は、「たしかに便利だけど、明らかに人間とか違うよね。そのボットの役割から外れた入力をするとまったく正確に受け答えができないし」と大半の人が思っていたことだろう。
しかし今では、場合によっては人間以上に正確な情報でもって自然な日本語(自然言語)で回答してくれる。この進化を目の当たりにして、どうして人間の見た目を模倣することは不可能だと言い切れるのだろうか? AI という言葉が登場した当初のそれから今のそれが圧倒的な飛躍を遂げていることからも、ある程度の年月が経てばいつかは本当に見間違えるくらいの人間らしい『肉体』を持つロボット(もちろん頭脳は AI 搭載)も登場したってなんの不思議もない。
つまり人間は、相手が人間であるかどうかを、原理的には特定することができないのである。今はまだ人間そっくりのロボットが登場していないから、実際に会えば人間かどうかわかる、あるいはマッチングアプリのユーザの中身が実は AI だったなんてことは常識的には考えづらいだろうし倫理的・法律的にも完全アウトだから相手が人間であると信じられるが、技術が進化すればだんだんとホンモノの人間かどうかの区別ができなくなっていくことだろう。
この世界はすべて夢なのかも
デトロイト ビカム ヒューマン という人気のゲームがある。すでに知っている人もいるだろうが、人間そっくりの見た目をしたアンドロイドが人間と調和するか革命を起こすかという、人間とアンドロイドの運命を分けるフィクション作品なのだが、作中の始まりで「これはあなたたちの未来」というセリフが出てくるように、このような未来が訪れるだろうというのは、今の AI の躍進と浸透の具合を見ると想像に難くない。
そして、このゲームを途中まで進めると、アンケートの回答を促されることがある。その質問のなかに「アンドロイドには心があると思うか?」というような質問がある。ぼくがこのゲームをプレイしていたとき「その心だと思うようなものすらもプログラムされたものなのだから、アンドロイドが心を持つというのはありえない」と思っていた。
しかし、『哲学的な何か、あと科学とか』を読んで考え方が変わった。それは「そこまで人間そっくりになっていくのなら、いずれはアンドロイドにもホンモノの心というものが形成されていくのだろう」といったもの ではない。「そもそも他人に心があるかどうかを、今まで確認したことがないんだから、人間(他人)にすら心があるかどうかわからない」というものだ。
「こいつ何いってんだ」って思うかもしれないが、「自分に心というものがあるのだから、同じ人間である他人にもあるはずだ」というのが、そもそも思い込みという可能性を否定することはできない。「でも現に、なにか楽しいことがあったら自分と同じように笑ったり、なにか不快なことがあったら自分と同じように怒ったりする『他人』を今まで何度も見てきているのだから、他人に心がないなんてありえない」と思いたいところだが、それを確認したことは一度もないし、そもそもそんなの確認のしようがない。それこそさっきと同じ理屈で、その正体は、まるで心があるかのように振る舞うロボットなのかもしれないし、物理的に脳の構造を徹底的に調べても、やっぱり感情をシミュレーションする機能を持った臓器という可能性は否定できない。
「でも、自分には心があるじゃないか……。じゃあ、同じ人間なのに、他人にないのはおかしくないか……」と思うかもしれないが、自分に心があるというのも、そうやってあなたの脳が思い込ませている幻想(思い込み)なのかもしれないし、あなただけには心があって、それ以外のこの宇宙のすべては、あなたの脳が生み出した幻で、他人という、自分と同じように心を持っているように振る舞う生物的特徴を模倣したただの有機物がそこらじゅうに動いている世界の中をロールプレイングしているだけ、という可能性だって、原理的には否定することができない。なぜなら、あなたが壮大な宇宙の夢を見ている可能性も、他人に心があるかどうかも、確認することはできないのだから……。
疑り深い人のためにもう少し補足しておくと、もしあなたが壮大な宇宙の夢を見ていることを「幻覚を見ていて精神が正常ではない」と規定して、病院に行き精神に異常がないことや脳の中身を調べてもらって問題がないことを確認してもらったとしても、その「病院に行って調べてもらった」という体験そのものが夢ではない証明はどうやってするのだろうか? 夢の中で「これは夢だ」って気付けるというのだろうか? もしそういう体験(明晰夢)をしたというなら、「それ自体が夢だった」っていうことをどうやって否定するのだろうか? 夢の中でまた別の夢を見ていて、その中で「これは夢だ」って気づいても、あなたは相変わらず「夢の中」である。
科学的な世迷い言
これはあくまで仮説というか可能性の話であって、ただの世迷い言のように聞こえるかもしれない。そんな非科学的なことを考えて何の役に立つのか、という批判をしたくなるのももっともだ。
しかし、そんな人に残酷な現実を突きつけると、これと似たようなことが物理学の世界でも発生している。いわゆる『シュレディンガーの猫』というやつだ。この思考実験は有名なわりにはその詳細をきちんと理解するのが意外に難しいので、詳しくは『哲学的な何か、あと科学とか』の解説に任せることにするが、とにかくここで言いたいのは、「観測や検証、証明ができないのであれば、あくまでそれは仮説や解釈の域を出ない」というものだ。
だからこそ、物理学(量子力学)の世界でも「この世界はもしかしたらパラレルワールドなのかもしれない」ということは否定できないのだ。「電子が位置 A に存在するか位置 B に存在するかは、観測するまでは可能性として同時に存在している」なら「箱の中の猫が生きているか死んでいるかは、観測するまでは可能性として同時に存在している」……、であるなら「生きている猫を観測する人間と死んでいる猫を観測する人間も、可能性として同時に存在しており、それはつまりこの宇宙が複数存在している可能性があり……」。
『哲学的な何か、あと科学とか』でも言及されているとおり、これはあくまで解釈の一つであって、それが正しいと証明されたわけではない。現に『パイロット解釈』という別の解釈もあって、こちらも矛盾はしていない。しかしいずれにせよ、それを確認(実験によって観察・証明)するすべを人類は持っていないのだから、パラレルワールドなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない、としか言えない(現在の物理学(量子力学)で前者の解釈(コペンハーゲン解釈)が採用されているのは、単に「役に立つから」「そっちのほうが計算が楽だから」というデューイのプラグマティズム(道具主義)的な発想であって、決してそれが正しいと断言したわけではない。『理論』ではなく『解釈』という用語が用いられているのもそのためだ)。
しかし、もしこの宇宙がパラレルワールドなのだとしたら、ぼくが現実としてありありと感じているこの世界が、実はぼくが見ている夢なのだとしたら…………
👉 『誰でもいいから独りにしないで。誰か助けて…………』へ続く………………
