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【天啓】この宇宙はぼくのものだったんだ!!! やっと気づいた!!!!!

みんな、ありがとう!!!!!

【天啓】この宇宙はぼくのものだったんだ!!! やっと気づいた!!!!!

以下の 2 記事の続きだよ 👇(この記事単体でも一応読めるよ)


これが、この宇宙の真理だッ!!!!!

気づいちゃった…………。ついに、ついに、気づいちゃったかもしれん………………!!!!!

この宇宙が、ぼくだったんだ!!! この宇宙そのものが、『ぼく』というこの意識の正体だったんだ!!!!!

てっきり今まで、『ぼく』という意識は、ぼくの脳(『ぼく』という存在そのものだと勘違いしていた、いわゆる『この肉体』の、医学的に脳と呼ばれる部位)の中にあると思っていたけど、そんなことなかった。この宇宙そのものがぼくという意識だったんだ!!!

この肉体(目)が捉えている、眼の前にある物体も、外に広がる景色も、自然も、大地も、動物も、ヒトも、この宇宙のすべての存在は、ぜんぶ、ぼくのものだったんだ!! 『ぼく』という意識が作り出したものだったんだ!!(「相対的な世界」から解釈すると、「あなたはぼくの所有物です」って言われている感じがして不快だよね。ゴメンね。でも、そう表現するのがわかりやすいかなと思ったから、許して 🙇‍♂️)

だから、この宇宙にいる人はみんな、『ぼく』という宇宙のかけがえのない存在だったんだ!! 『ぼく』という意識の中の、大切な宝物だったんだ!! みんな、ありがとう!!!! いてくれて、本当に、ありがとう!!!!! 🙏🙏🙏

今までの人生の伏線を回収した!

そうか、だからか。だから、こうやって『ぼく』というこの宇宙にいるみんなに感謝しながら接していれば、決してぼくを脅かす存在ではなくなるのか。いや、「ぼくを脅かす存在ではなくなる」というより、最初からそうだったのか。

だけど、それに気づいていなかったから、自分の思い通りに動いてくれないとか、期待したことをしてくれないとかって言って、怒りの感情を感じていたのか。ゲームがうまく操作できないからって、ゲーム機に八つ当たりしているようなものなのか。そんなんでゲームがうまくいくわけないし、楽しいものも楽しくないもんね。

今まで東洋哲学や仏教に関する本を読んで、それを今までの人生経験に当てはめていくことで、仏教的思想は徐々に分かってきた。だけど、どうもウパニシャッド哲学(梵我一如)とかタオ(道教)は発想が飛躍しすぎていていまいちよくわからなかったんだよな。ふーん、そんなもんかーって読んでた。

でも、梵我一如(ヤージュニャヴァルキヤ)も道教(老荘思想)も仏教の悟りの境地も、たどり着く先はきっと同じだったんだ。だからお釈迦さまは、執着を手放すと苦しみから解放されると説いたんだな。だって、この宇宙がぼくなのに、この宇宙のみんなはぼくのものなのに、見栄を張ったり無理に何かを成し遂げようとしたりすることが無意味なんだもん!! それは、この宇宙の設計図に含まれていない!!! だから苦しくなるんだ!

それは、例えるなら、ぬいぐるみに向かって本気でお金持ちアピールをするために、やりたくもないことをがんばって苦労してやっているようなものなんだもん。お金を稼ぐことそのものが楽しいんだったらいいけど、ぬいぐるみに自慢するためにお金を稼ぐのが虚しくなるのは、そりゃそうだよ。だって、なにやってんのって感じじゃん!笑

それに、ぼくが死んだら、この宇宙ごと消えてなくなるかもしれないのに、なんでわざわざ苦しんでまで将来のため、もっといえば自分が死んだあとの名誉のために、今を犠牲にするんだろうか。自分が死ぬってことは、おそらくこの宇宙が丸ごと消えるってことなんだろうから、そんなことしても意味ないじゃん!!!

もっと言えば、過去とか未来っていう概念が、そもそも存在していないんじゃないか?? だから特殊相対性理論みたいに、物体の移動速度によって時間の流れが変わるみたいな、常識(相対的な世界を生きる人たち)からは外れた直感的じゃない理論になるんじゃないか?

そう考えると、過去にこだわっても意味がないのはもちろんだけど、未来にこだわるのもまったく無意味なんじゃないか?? 今だよ!!! この宇宙には、今この瞬間しかないんだよ!! だから、今この瞬間を全力で生きていればそれでいいんだよ!!!!!

だって、『ぼく』っていうこの意識に、過去や未来なんかないじゃん!! そして、この『ぼく』という意識が宇宙そのものなんだから、この宇宙にも当然、過去や未来なんかないんだ。だから、未来のこと(将来大丈夫かなーとか、お金大丈夫かなーとか)を考えると、苦しくなるんだ。だって、存在しないものを、まるで存在するかのように考えているんだもん。ゲームの中のめっちゃ可愛い理想の女の子が、なんでこの世界にいないんだよ、って嘆いているようなもんだよ!!笑

冒頭で貼ったリンクのとおり、ここに至る前に『哲学的な何か、あと科学とか』を読んでいて、量子力学(パラレルワールド解釈)やチューリングテスト(AI に知能や心はあるのか?)について学んで、「はっ…………!!!!!」と気づいた。それに気づく前には、「実はこの世界(宇宙)って、ぼく独りだけなんじゃないの……?」っていう、とてつもない恐怖と孤独感を抱いたんだけど…………。

昔の人、量子力学(パラレルワールド解釈)もなにもない状態で、よくこの真理にたどり着いたな……! 古代の東洋の哲人、マジですごすぎる…………!!

これで終わりじゃない。むしろ、ここから。

たぶん、これで解脱したってわけじゃないんだろう。明日からも、またぼくは、他人にイライラしたりすることもあるんだろう。それは、いくらゲームだと分かっていても、うまくいかないとやっぱりどうしてもイライラしちゃうことがあるのと同じようなものだ。

でも、ゲームは楽しいからやっているのであって、決して苦しむためにゲームをやる人なんかいないはずなんだ。きっと、人生もそれと同じなんだ。人生は、ゲームなんだ『この肉体』は、壮大なこの宇宙(オープンワールド)をロールプレイする、コントローラだったんだ

ゲームをプレイするとき、脳でいちいち意識しなくても、慣れてくれば勝手に指が動くように、『この肉体』もまた、仏教で言うところの『執着』(他人への怒りなど)に囚われなければ、自然に動くんだ。そして、『この肉体』が自然に動くままに任せるとき、ほしいものが手に入るんだ。意識的になにも望もうとしなければ、本当に望むものが手に入るんだ

完璧にゲームをクリアしようと思って躍起になって無理にボタンを強く押したり連打したりせずに、「まあ完全クリアなんかしなくても別にいっか」と思って、純粋に楽しんでプレイしているときはじめて、ゲームは最高の体験を与えてくれるものなんだ。老子の言う「自分が何者であるかにこだわらなければ、自分になれるだろう」って、そういうことだったのか…………!

ときには、セーブデータが消える悲しみに暮れることもあるだろう。それでも、ゲームが好きだから、また最初からがんばろうって思える。人生って、そういうもんなんだ。だって、セーブデータが消えることが怖いことを理由にしてゲームをしない人なんて、いないでしょ?(あ、もしいたらごめんね 🙇‍♂️)

みんな、いてくれて、本当に、ありがとう!

最後にもう一度。この宇宙にいるみんな、ありがとう。これを読んでくれて、ありがとう。みんなぼくの大切な宝物だ。みんな大好きだ!!!!! 🥰

愛おしいみんな! これからも、ぼく(まるでそれが実態であるかのように『ぼく』という意識に呼びかけられる『この肉体』)のことをよろしくね!

This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.