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投票しない自由。「選挙行け」は「この政党を支持するのは頭がおかしい」と罵倒するのと一緒

まあいい感じに言いたいことは言えたんじゃないかな。

投票しない自由。「選挙行け」は「この政党を支持するのは頭がおかしい」と罵倒するのと一緒

はじめに

誤解のないように先に言っておくと、ぼく自身は選挙に行く。まあといっても最近になって行くようになったわけだが。しかし依然として、「選挙に行かないのはどうかと思う」という意見には賛成できない。その理由を端的に言えば、どの党に投票すべきかは個人の自由であるならば、選挙に行かない自由も認められるべきだからだ。

なお、これは現在の日本の制度を想定しており、オーストラリアやベルギーのような選挙に行かないと罰則がある国 のことに関しては考慮していない。

『カレー味のうんこ』と『うんこ味のカレー』

よく「選挙に行かないなら、その結果がどうなってもあなたは文句を言うことができない」と言う人がいるが、これはなんだか違和感のある主張のように聞こえる。例えるなら、「『カレー味のうんこ』と『うんこ味のカレー』、お前はどっちを選ぶ?」って聞かれて、「いや、どっちも選ばねえよ」っていうやつに対して、「じゃあお前は食わせるやつが恣意的に選んだほうを強制的に食わされても絶対に文句言うなよな」って言っているように聞こえる。

数ある選択肢の、どれもがうんこみたいなものだと思っている人に対して、わざわざ『カレー味のうんこ』と『うんこ味のカレー』のどっちがマシかを吟味させて、しかもそれをわざわざ食べに行くことに時間を労力を使わせることを強いているようなものだ。

もちろん『カレー味のうんこ』と『うんこ味のカレー』のように、不毛な質問をあえて考えてみることに思考実験の醍醐味があるという意見はもっともだが、それを全有権者に強要する(選挙に行かないやつはうんたらかんたらって非難する)のはおかしいと思う。別にその質問に答えたくないやつを非難する権利はお前にはないだろう。

別に今の政治が『カレー味のうんこ』と『うんこ味のカレー』を選ぶようなクソみたいな状況になっていると言いたいわけではない。また、あなたが『カレー味のうんこ』と『うんこ味のカレー』を選んでわざわざ食べに行っていると馬鹿にしているわけでもない。だが、どれもクソだと思っている人もいるはずで、そういう意見を尊重しないのは、特定の政党を支持する人を罵倒するのと何が違うの? という話である。

投票しない自由を認めないのは社会的に正当化された弱いものいじめ

日本では、特に政治や宗教に関する話はタブー視されがちである。なぜなら、端的に言えばケンカになるからだ。そんな民族性を持った我々日本人が、自分の支持する政党とは真逆のイデオロギーを持つ政党に投票する人を目の当たりにしたら、きっと心のなかでは批判したくなるだろう。しかし、実際に口に出してしまうと人間関係に亀裂を入れてしまう恐れがあるので、仮に身の回りの人間が、自分の対抗となる政党に投票していることを知っても、表立って批判するようなことをする人は少ないと思う。

だけど、その批判したくても批判できないっていう状況にモヤモヤしているのではないだろうか。誰でも良いから、なんか批判したいんだろう。そのターゲットが、「選挙に行かないやつ」なのではないだろうか。彼らを批判するのは非常に容易い。よく街頭インタビューとかで選挙に行かない人についてその理由を答えているシーンを見ることがある。そのときの彼らの回答の大半は「めんどくさい」とか「どうせ自分が投票したって何も変わらない」というものだ。

でも、これってまさに(オールド)メディアの印象操作だと思う。こういった街頭インタビューを見て、なぜ、投票しない全員が同じように考えていると思ってしまうのだろう。「投票したい党がないから投票しない」っていう理由だって十分にあり得るはずだ。でも「めんどくさい」とか「どうせ自分が投票したって何も変わらない」っていう人は、「投票権を自ら放棄している堕落した人間だ」という烙印を押しやすいので、対立政党の支持者との口論を避ける小心者でも悠然と批判を言ってのけることができるのだ。まるで 社会的に正当化された弱いものいじめ のようだ。

心のなかでは批判したい気持ちはありつつも、民主主義である以上は、対立する政党の支持者がいてもそれはその人の意見として認めるべきである。なぜなら、どの政党に投票するかは個人の自由だからだ。だったら、なんで 「投票しないという自由」を認めようとしない のだろうか。

「投票率が低い」という民意

投票率が下がると「民意が反映されない」とか「組織票が強くなる」とか反論する気持ちもわかるんだけど、そうやって投票しないことを煽るのは、「この政党に入れるやつは愚か者だ」と煽ることと、いったいなにが違うのだろうか。どっちも個人的なエゴで選挙結果に影響を与える操作をしている点ではなにも変わらない。どの党にも投票しないことによって、特定の政党の勢力が強くなるなら、それも「民意」なのではないだろうか。

幸いなことに、日本では投票しないことに対して罰則がない。だから、選挙にしばらく行っていないからといって選挙権が剥奪されることはない(今のところね。もしそういう罰則を入れようみたいなことを言い出す政党が出てきたら個人的には選挙で阻止するつもりだ)。つまり、その気になればいつでも行くことができる、ということだ。

実は、これ自体が、民意を反映しているとも言える。実際、与党がとんでもない失態をおかしたり個人の生活に明らかに影響が出てきたりすると、投票率が上がっている。つまり、投票率が低くて組織票が強いから盤石だ、なんてあぐらをかいていたら、いつの間にか寝首をかかれて勢力を落としていた、なんてことはよくある話である。投票率が低いってことは、それだけ与党ではない政党に大きく票が増えうるポテンシャルを秘めているということでもある。政治家もバカじゃないから、それくらいわかるだろう。そしてそれが、抑止力にもなっている。そういう意味で、投票しないからといって民意を反映していないわけではない。むしろ、無理やり全員を選挙に行かせて、政治の知識もなにもないまま、よくわからない政党に投票するほうがよっぽどおかしなことになる可能性がある。

これは歴史(哲学)を少し知っていればすぐにわかることである。いわゆる衆愚政治(大衆迎合主義、ポピュリズム)というやつだ。本当は投票したいとは思っていない(どの政党にも投票したくないと思っている)人まで無理やり投票させようとすると、「うーん、まあじゃあこの人なんか人当たり良さそうだからこの人にしようかな」みたいな政策の中身ガン無視の投票をしてしまう恐れがある。また、仮に政策の中身で判断したとしても、すべての有権者が各政党の政策の内容やこれまで行ってきたことを全部把握するのは不可能だから、政治に関心がない状態で投票しようとすると、結局はなんとなくで決めるしかないのである。

そっちのほうがよっぽど危ない気がしないだろうか。それよりは、実際に政治をやらせて明らかにとんでもないことをやってる政党があったら、その現状を変えるために、そうではない政党に大きく票が入るポテンシャルを秘めているほうがよっぽど健全なように思う。口当たりの良いことを言っているやつより、実際の行動で示したほうを評価するように、国がうまいこと進んでいるうちは投票率が低くて、やばい方向に傾いてくると投票率が上がるっていうのは、自然な流れだし、健全な民意だと個人的には思う。

常にマックスで投票率が高かったら、各政党は必死になって「囲い込み」をしようとするから、なかなか票が流れなくて全体としてヤバい方向に傾いていても民意を変えづらいというデメリットがある。そして政治家たちもそれをよくわかっているから、とりあえずある程度の支持者を囲い込んでおけば壊滅することはないとたかをくくり、自分たちに都合の良い政策を通しやすい可能性だって出てきてしまう。むしろ投票率が低くて、どっちに転ぶかわからない有権者が多いほど、政治家としては予測がつかないから、ヘタなことして壊滅状態に追い込まれる危険を冒す可能性が低くなる可能性がある。これも一つの民意と言える。

投票率が高いから民意が反映される可能性もあるし低いから反映される可能性もある

さっきから「可能性」って言葉を連呼しているから、結局はお前の想像なんじゃないかというツッコミが入るかもしれない。そのとおりだ。ぼくは政治のスペシャリストではないから、これはあくまで素人の戯言だ。しかし言わせてもらおう。逆に、投票率が上がったら「民意が反映される」ということには確固たる根拠があると言うのだろうか。それだってあなたの想像なんじゃないだろうか。

もちろん、投票しないことに罰則を設けていて投票率が高い国は存在するけど、それをそのまま日本に当てはめて同じことになる保証はない。もし同じになるなら、現状うまくいっている国のルールを丸パクリするだけの簡単なお仕事で良いということになってしまう。文化、民族性、価値観、地理的状況などなど、あらゆる変数を考慮すると、どちらの主張もあくまで「可能性」の域を出ないというのが妥当な判断だろう。

だから、ここまでの話で勘違いしないでほしいのは、「知識がないなら(政治に詳しくないなら)投票するべきではない」と言っているわけでは決してないということだ。あくまで可能性の話をしているのであって必ずそうなると断言しているわけではないし、(どこにも投票したくないと思っている人を含め)なるべく多くの人を投票に行かせることが絶対に良い方向に進む(民意が反映される)という意見へのアンチテーゼとして「そういう可能性もあるよね」という話をしている。

「選挙に行かないのは悪」であるというエゴ

だから、ここでぼくが主張したいのは、投票しないことがまるで悪であるかのように断定して批判したり煽ったりするのは、自分の正義を他人に押し付けるエゴ だということだ。紀元前に存在していた古代ギリシアだって民主主義だった。しかし衆愚政という問題をはらんでいた。あれから 2,000 年以上経った我々は民主主義を史上最高の政治体制として崇め奉っている節があるが、すでに人類は通過済みである。そしてあのころと本質的な問題は変わっていない。

もちろん古代ギリシアの民主主義と現代のそれがまったく同じというわけではない。しかし、アリストテレスが指摘した問題点が現代においても解消されていないのは事実。であるなら、民主主義を盲信し、「投票率が上がれば民意が反映されるはずだ!」という大義名分で投票しない人を批判するのは、人類の歴史から学べる教訓を活かしきれていないのではないだろうか。

誤解がないように最後にもう一度念を押して言っておくが、民主主義を批判しているわけじゃないし、ぼく自身は投票に行く。そして、「知識のないやつは選挙に行くな」というエゴも持っていない。民主主義であるなら、そんなに知識がなくても選挙に行くことも含めて自由を認めるべきだと思っている。

ただ、選挙に行かない人を批判して、自分は正しいことを言っているという自分に酔いしれて気持ちよくなってる人たちの目を覚ましたくてこれを書くに至った。自分の支持する政党とは異なる政党に投票する人の意見を聞いて「そういう考えもあるよね」と認められるのであれば、投票しないという選択をした人に対しても「そういう考えもあるよね」という判断ができるほうが、視野が広くて柔軟な考え方ができているとは言えないだろうか。

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