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誰でもいいから独りにしないで。誰か助けて…………

そして、愛させて…………

👈 『この世界はぼくの妄想で、ぼく独りだけなのかも……』の続き。別に読まなくていいよ。


拝啓 未来のあなたへ

もしこの宇宙がパラレルワールドなのだとしたら、ぼくが現実としてありありと感じているこの世界が、実はぼくが見ている夢なのだとしたら………… そう考えると、とてつもない恐怖に襲われた。

そしてちょうどこのパラレルワールドについて『哲学的な何か、あと科学とか』で読んでいるとき、恐怖でいたたまれなくなって、いったん読むのをやめた。そして、なんとなく窓の外を眺めた。19 時ごろだった。寝不足だった。昼夜逆転を直すために朝と昼にコーヒーを 2 杯ほど飲んでいた(ふだんは 1 杯だし寝不足のときに無理やり起きているために 2 杯も飲んだりしない)。だから、三半規管の調子が悪くて地面が揺れている感覚がした。それに惑わされたというのもあるし、パラレルワールドのことを考えて自分はこの世界で独りぼっちかもしれないという不安と恐怖と孤独を感じている脳に煽られて、なんとなく地震が来そうというさらなる不安に駆り立てられた。

そして、地震が起きた。5 月 6 日 19 時 6 分ごろのことである。神奈川県東部でマグニチュード 4.2(最大震度 3)の地震。東京に住んでいるから、もちろん揺れた。縦に揺れた感じがした。一瞬だった。それほど大きくはない揺れだった。だが、その一瞬が、とんでもない恐怖をぼくに与えた。しかも、なんという偶然だろうか。そのちょうど前日の 5 日の昼に、眠くて昼寝をする前に、なんとなく、本当になんとなく、昼寝しているときに地震が来たら怖いなと思って、2024 年 12 月 10 日に購入したものの、めんどくさくてずっと放置していた家具転倒防止突っ張り棒を耐震として設置していたのだ……!

それからもうその日は生きた心地がしなかった。虫の知らせという言葉がある。今までも、何の理由もないけどなんとなくこうなりそう、みたいな予測というか予感なるものは何度かあった。しかし、地震は多くの人に影響するものだから、霊感もなく非科学的なこともあまり信じない自分が感じた単なる予感程度のもので、大勢の人を巻き込むような予知が当たってなるものか、という謎理論でなんとか誤魔化してきた。

しかし、もしこの世界がパラレルワールドで、自分独りで、あるいは周りの人間や動物は、自分の夢が生み出した幻なのだとしたら……、自分だけが生きるこの宇宙で、甚大な被害を及ぼす災害が、自分の予感のみで当たってしまっても、別に不思議ではない……。そしていずれは巨大な地震が自分の身に襲いかかり、向かいにある高層マンションが自分のいる建物に崩れ落ちてきて、その巨大なコンクリートのカタマリに家ごと押しつぶされ、想像を絶する身体への痛みとともに絶命する……、あるいはパニックで身動きが取れなくなり、そうこうしているうちに巨大な津波が起きて建物ごとあっという間に流され、呼吸もできず苦しみもがきながら溺死していく…… そんなとんでもなく恐ろしい妄想が始まった。そう考え始めたら、もう本当に血の気が失せてしまって、恐怖のあまりパニックで卒倒しそうになってしまった。

いや、落ち着け。これはただの妄想だ。日本では地震が起こることは日常茶飯事だし、揺れに敏感だったのはカフェインや寝不足のせいだ。寝不足で脳の機能が正常に働いていないときは、そうした予感(偶然)を「本当だ」と信じ込んでしまうことだってあるし、恐怖の妄想をするのもパニック障害や謎の焦りを生み出すカフェインの副作用として知られている。特に寝不足で 2 杯も飲んでいたわけだし、寝たら治るさ……、ChatGPT にも慰めてもらい、とりあえず YouTube を見てリラックスしようとしたが、やはりそう簡単にこれだけの恐怖を払拭することは難しい。今は考えても不安が増すだけだ、いったん放っておいて考えないようにしよう、考えないようにしよう、考えないように、考えないように…… そうやって考えないようにすればするほど、やっぱり考えることに意識が向かって余計に考えてしまう……。怖い、どうしたらいい? 助けて、だれか……。

地震は誰にとっても恐ろしいものだ。だから、日本に住んでいる限りは、この不安から完全に逃れることはできない。そうだとしても、誰かがそばにいてくれれば、その不安を分かち合うことができるはずだ。たしかに、パラレルワールドの解釈を信じるなら、この世界には自分独りだけだ。他人は、自分の生み出したリアルな妄想でしかない。ただの有機物かもしれない。

それでも。仮にそうだとしても、そんな自分の脳が生み出す幻があるなら、ただの有機物かもしれない他人をまるで心を持ったホンモノの人間であるかのように錯覚し、そこに安心を見出すことだってできるはずだ。この宇宙が自分の生み出した妄想の世界なら、そこに存在する幻の他人を、現実に存在するホンモノの人間として錯覚して、そうであると妄想して、思い込んで、そこに安らぎを感じることだってできるはずだ。

だから、誰でもいい。そばにいてほしい。ぼくの脳が生み出したただの有機物でもいい。だから、一緒にいてほしい。隣にいて、安心させてほしい……。

翌日。朝早くに目覚めた。この日は余計なことはせずに、寝ることを優先したほうがいいと思った。少しは落ち着いたが、まだ不安は払拭できていなかった。得体のしれない恐怖。死に対する逃れられない恐怖。この世界でたった独りかもしれない猛烈な孤独感。不安の感情が弱まったとはいえ、根本的にその感覚を忘れることは、できなかった。

とりあえず楽しいことをしよう、今の自分がやりたいことをしようと思ったのだが、恐怖の感覚が脳裏に焼き付いて、何もやる気が起きない。何をしても楽しめない、虚しいと感じてしまう。

とりあえず、夢でもなんでも良いから、人と出会いたかった。地震が怖すぎて、また、生活リズムが崩れていたせいで、数日ほどシャワーを浴びていなかった。周りから臭いと思われたらどうしようという不安もあったが、それでも、まずは外に出て、街の様子を眺めようと思った。

久しぶりに大きな公園に行き散歩をした。夕暮れ時だった。放課後に公園で無邪気に遊ぶ小学生たち。部活動をする中学生たち。自分はこの世界で独りなんだという孤独感や恐怖を、微塵も感じていないかのような子どもたち。その姿を見て少し安心した。

そして日が暮れた。あたりが暗くなっていく。みんないなくなった。再び孤独を感じた。虚しさを感じた。ベンチで独り座り、ニートを脱するためにフリーランスエージェントに 1 週間ほど放置していた返信をする。返信はすぐには返ってこない。マッチングアプリを開く。誰からもいいねは来ていない。日は暮れる。虚しさを感じる。

再びいたたまれなくなり、帰路につく。日はすっかり暮れていた。セブンイレブンに寄る。食料を買う。店員さんがレジの接客をする。機械的な対応ではあったが、目を合わせて商品を渡してくれる。お礼をする。再び、帰路につく。

街は、帰宅ラッシュのサラリーマンや OL であふれかえっていた。再び独りじゃないと安心した。ふだんは邪魔で鬱陶しいと思っている通行人も、なんだかそこにいてくれるだけでありがたいと思えた。人間という存在そのものが、身にしみた。

帰宅した。外に出るまでは、シャワーを浴びているときに地震が来たらと思うと怖くてシャワーを浴びれなかった。でも、少し安心したからか、帰宅してすぐ、シャワーを浴びることができた。汚れが取れてすっきりした。まだ不安は残っていたけど、かなり落ち着いた。

そしてまた翌日を迎えた。note を書いたりしていた。その後、また、手持ち無沙汰になった。最近あまり眠れていない。頭がずっとボーっとしている。昼間に寝ようとしても、眠れない。ネットワーク制限をかけているから、日中は YouTube も観られない。なにかしたい。でも、なにもすることがない。

SNS を見る。発言する。誰からもリアクションが来ない。やっぱり孤独……、いや、違う。これは、承認欲? ここにいていいって認めてほしいだけ? わからない。

夜になった。YouTube を観始める。去年のちょうど今くらいに鬼武者 2 のリマスターが発売されたらしい。なんとなく久しぶりに鬼武者の実況動画が観たいと思って検索してそれを知った。思い入れのあるゲームだ。懐かしいと思って兄者弟者さんの配信を観始める。懐かしい。楽しい。しかし、なにか満たされない。SNS になにを投稿しても反応がない。この楽しい気持ちを、今は誰とも共有できない。

じゃあ、妄想の中で友人を呼び出そう。定期的に会う友人は 1 人だけ。本で読んで手に入れた知識を説明するときは、いつもこの友人を頭の中に召喚する。ね、面白いでしょ? ………………………… その友人は、鬼武者を知っているかどうか知らない。興味ないかも。

というか、この友人は、奨学金を返済しなくていい。そして、アプリで広告費を稼いでいるから、ぼくのようにどっかの企業に雇われて働く必要がない(まあ今はニートだけど)。借金(奨学金)もあって何もしなくても入ってくる定期的な収入は一切ない。働かざるを得ない。そんなぼくに対して、よく雇われで仕事なんかできるね、よくモチベーション保てるね、なんて言ってくる友人。ひどい、ひどすぎる。こっちは働きたくて働いているわけじゃないのに。そうせざるを得ないのに。家庭の裕福さで奨学金を返済しなくて良い上に、誰でも必ず成功できるわけではないアプリの広告収益で生計を立ててのんびり暮らしている人間に、そんなこと言われたくない。

いつの間にかぼくの心は怒りの感情に支配された。そのとき、一昨日から続いていたあのとてつもない恐怖や不安と孤独感は消えていた。いや、一時的に忘れていた。

もうあのひどい発言のことは水に流せたと思っていたのに。またぶり返した。しかしそれと同時に、恐怖が怒りに変わり、一時的ではあるが、恐怖を払拭することができた。

そしてまた翌日。今、これを書いている今日。5 月 9 日。今日もあまり眠れなかった。でもそれ以上眠ることもできなかった。仕方なく起きる。とりあえず日課をこなす。英語の発音練習アプリを開くといつも iPhone が謎に熱くなる。それがずっと不満だった。そして明らかに正しく発音しているはずなのに、全然正常に判定してくれない。筋トレアプリで休憩の延長ボタンの押下が間に合わない。日常のほんの些細な不快感にものすごくイライラした。

その瞬間、ふと気づいた。これは、『自我の抵抗』だと。もしこの世界が、自分独りの妄想なのだとしたら、こうやって文章を書いていることを認知するぼくも、脳が見せる妄想なのかもしれない。自我なんてない。無我だ。自我は幻だ。

だとしたら、自分は死んでいるのと変わらない。だから脳はあの日、地震が起きたあの日、死の恐怖をぼくに見せた。「ぼくはここにいるよ!」ってぼくの脳はぼくに認めてほしかった。だから恐怖というシグナルを送った。それは、ぼくの脳が常にぼくと一緒であることを、忘れさせないための贈り物。

そしてその恐怖から、ぼくの脳は自我を取り戻した。独りじゃないと言い張った。怒りの感情が湧いた。そしてもとの日常を取り戻した。これで万歳! ………… なのか…………?

再び『哲学的な何か、あと科学とか』の続きを読み始めた。チューリングテストだ。AI やロボット、アンドロイドに、心はあるのか。シュレディンガーの猫に引き続き、また、自分が本当に現実を生きているのかを考えさせられた。ただの夢の世界であるかもしれない恐怖を、ぼくの心に植え付けた。

東洋哲学、量子力学、計算機科学……。知れば知るほど、この世界が虚構である可能性が浮上する。老荘思想、道教。荘子の見た『胡蝶の夢』。荘子は、自分自身が少しの間だけ蝶の夢を見たのか、蝶が荘子と呼ばれる人間の夢を長いこと見続けているのか、わからなくなった。ぼくも、わからなくなった。この世の中は、いったいなにが現実なのか。いや、現実なんてないのかも……。

なら、この恐怖や孤独感はなんだ? もしかして、これも夢……? 脳が見せる幻……?? じゃあ、ぼくは何を苦しんでいるのか? すべて夢なら、苦しむ必要があるというのか? 脳は、なぜこんな苦しい夢を見せるのか?

脳は、自我を失うのが怖いから? それが、精神的な死だから? じゃあ、現実の死も夢なのか? ぼくの脳は、精神的に死ぬことが怖いから、ぼくが現実的に死ぬ恐怖の夢を見せて、精神的に死ぬことに抵抗しているのか…………?

じゃあ、この精神的な死の恐怖を乗り越えて、精神的に死ぬことを認めたら、その先には、いったいなにがあるのか…………?

般若心経によれば、悟りを開く直前は、恍惚としたものではないらしい。自我が壊れること、自分が精神的に死ぬという恐怖の縁に立たされるらしい。そしてこれを克服してその先に向かう方法は、言葉では説明できないらしい。だから、般若心経の最後には『羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』という呪文が記されているらしい。これは、その縁に立たされた者を後押しする「がんばれ!」という応援の呪文らしい。

ぼくが感じたあの恐怖は、これなのだろうか。以前、『悟りの境地に達するとはどういうことなのかを知ったら、悟りの境地に達することが怖くなった件』で同じようなことを書いたが、まさにそれをぼくが実際に体験する瞬間が訪れたというのだろうか。

怖かった。怖すぎた。。本当に怖かった……。。。病院行こうかと思った。怖すぎて、いてもたってもいられなかった。でも、これを乗り越えないと、いつまで経ってもぼくは、些細なことにイライラするだけのつまらない人生を歩むことになるというのだろうか…………。

そうか、そうなのか。お釈迦さまや龍樹の言っていたことって、これだったのか。そして、そんな恐怖を乗り越えられなさそうな無力なぼくを救ってくれるのが、親鸞さまや阿弥陀さまなのだろうか。

この恐怖は、独りで乗り越えないといけないのだろうか。そばに誰かがいても、それがただの有機物だと認めないと、心のなかでは本当に独りぼっちであると認めないといけないのだろうか。怖い。怖すぎる。。誰か、助けて……。

何度も繰り返すけど、本当に怖かった。公園で遊ぶ小学生も部活に勤しむ中学生も、コンビニの店員さんも、帰宅するサラマンダーも、みんな赤の他人なのに、なぜかそこにいただけで安心した。親譲りの一匹狼で小供の時から損ばかりしているぼくでも、決して独りでは生きていけないのだと悟った。

お願いだ。誰でも良い。そばにいてほしい。こんなくだらない妄想に本気で怖がっている哀れな童貞だと罵ってくれてもいい。そんなあなたでいい。ただ、ぼくを必要としてほしい。ただ、愛させてほしい。お願いだ。独りにしないでほしい……。

嗚呼、これが『愛』なのか。やっとわかったよ、ぼく。

これは冗談じゃなくて、本気で言っている。だからもし、あなたがこれを読んで、ぼくに愛されても良いって思えたら、連絡してほしい。コメントを残してほしい。独りじゃないよってそばで慰めてほしい。こんな惨めで情けないぼくを、救ってほしい。

敬具

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