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無職になったあげく童貞をこじらせた哀れな男の戯言

途中から書く気がなくなった。それでも公開はしたいからガンバって書こうとして苦しんでいた。執着まみれだ。

無職になったあげく童貞をこじらせた哀れな男の戯言

マッチングアプリを久しぶりに再開したのだが……

ちょうど数日前(25 日)、久しぶりにマッチングアプリを開いた。「久しぶりに」と書いているとおり、マッチングアプリを使うのはこれが初めてというわけではない。2019 年にアカウントを作り、最初は積極的に利用していたものの、結局、良い出会いには恵まれず、次第に利用しなくなっていった。

それ以降、たまーに思い出して、またやってみようかなと再開したりするのだが、やっぱりなんだかうまくいかなくてすぐにやめる、というのを繰り返している。男性は基本的に有料ということもあって、無期限でずっとダラダラ続けるわけにはいかない。それに、回数を重ねるごとに、またどうせうまくいかないのだろうと期待がどんどん薄れていっているので、再開して有料会員になるとしても、加入するのは 1 ヶ月プランとかだったりする。

そして有料会員の期限が切れるよりも前にやっぱり諦めてアプリを開かなくなってしまうことが多かったりするし、再開って言ってもだいぶ間が空くことが多い。なので 2019 年から初めたとはいえ、使っていない期間のほうが圧倒的に長い。

初期のころから有名な 4 つのアプリ(Omiai、Pairs、with、タップル)を試している。当初は複数のアプリで有料会員になって同時並行していたりもしたが、もちろん今はそんなことをしてもお金がかかるだけと分かっている。だから、そのときの反応(いいね数やマッチ率)が良かったアプリで複数の人とマッチして、無料だとメッセージのやり取りができないっていう段階になってはじめて有料会員になるようにしている。

時期によってどのアプリで反応が良いかは異なるのだが、今回は Omiai で 3 〜 4 人とマッチした(ほかはまったく反応なしだった)ので Omiai で 1 ヶ月だけ有料会員になった。

鳴かず飛ばず……

しかし、案の定というべきか、やはり今回もうまくいきそうな見込みがない。最初にマッチした人は、向こうからいいねをしてくれて、最初の挨拶も向こうから気さくにしてくれたものの、そのあと数回の応酬があったのち、向こうからの返信が来ていたのだが、アプリを開いて確認したときにはすでに退会したアカウントになってしまった(ブロック?)。

二人目にマッチした人は、こちらが挨拶をしても連絡がなく、一人目の人と同じくそのまま退会したアカウントになってしまった。二人目も向こうからいいねが来たのだが、おそらく誤タップかなにかだろう。一度いいねをすると取り消しができないから、こういう糠喜びのようなことが起こる。

三人目以降は、外国人でもうすぐ帰国しないといけない人だったり返信がしばらく返ってこなかったりして、たぶん縁につながることはないだろうなという気がすでにしている。

ときめかない……

正直に言うと、うまくいくかいかないかというより、全然ときめかない……。すごく失礼なことを言っているのは百も承知なのだが、なんていうか、みんな同じに見えてしまう。同じような写真、同じような自己紹介文、同じようなプロフィール……。スワイプして次の女性のプロフィールを網膜にインプットするだけで、単調な作業をただ延々と繰り返しているだけに感じてしまう。

分かっている。自分から出会いを求めて久しぶりにアプリを開いたのはそのとおりだ。でも、いざそうしてアプリを開いてみると、そこに広がるのは同じような景色の繰り返し……。自分で求めたクセに、全然興味がわかない……。なんだこれは……。

たしかに、運命的な出会いが見つかるかもしれないみたいな、夢物語のような妄想をしなかったと言えばウソになるが、あまりにも想像とのギャップが大きすぎて萎えてしまった。

ちなみにこれは今回だけではない。再開するたびに感じていることだ。そして久しぶりに再開した今回も、案の定そのような虚しい感情を抱いた。

誤解を恐れずに、すごく雑に言えば、相手に求める条件のすべてを放棄して、誰でも良いから恋人を作ることそのものを目的としてしまえば、おそらく成功はするだろう(これもこれで傲慢な態度なのかもしれないが)。もちろんそれで良いわけがないというのは言うまでもない。

では、高望みしているのかというと、個人的にはそういう自覚はない。優しい人がいいなとか、積極的に話しかけてくれる人がいいなとか、自分を好きでいてくれる人がいいなとか、そういうのはあるんだけど、そんなのはプロフィールからじゃ分からない(自称「優しい」人ならたくさんいるが)。

それにプロフィールは 1 枚目の写真が一番印象に残るから、結局のところ、可愛いとか顔がいいとか笑顔が素敵とか明るい印象を受けるとか、そういう見た目で判断する部分がどうしても出てきてしまう。現実世界と違ってスワイプすればいくらでも恋愛を求める相手が出てくるから、一人ひとりに思い入れというか愛着というか情がわかないというのもある。

消極的……

全員ではないとは思うのだが、基本的に女性は受け身だ。なのでこちらから積極的に関わったりごはんに誘ったりしない限りは進展することはない。

そして、何を隠そう、ぼく自身も受け身がちな傾向がある。求める(追いかける)よりも求められる(追われる)ほうが好きだ。自分から好きになる(気になる)ことはもちろんあるのだが、相手が自分のことを好きじゃないようだと分かると、それで萎えてしまうことが多い。「よっしゃ、なんとしてもこの女性に自分を好きにさせてみせる!」みたいな気概を持つことができない。相手が自分のことを好きでいてくれるからこそ、自分も好きになれる、そんな感じがする(まあそれは向こうも同じなのだとしたら一生その想いが交わることはないのだが……)。

しかし、前提としては同じはず(向こうも出会いを求めているはず)なのに、基本的にはこちらからいろいろアプローチしないといけないっていうのがモチベーションの低下をさらに助長している。ただでさえあんまりときめいていないのに、ここから関係性を深めるためには、こちらからごはんに誘ってお店の予約をして待ち合わせの場所を決めて……といったことを積極的にがんばらないといけないのか……って考えると、めんどくさいからいいかな……って気持ちになってしまう。アプリを使っている以上は向こうも出会いを求めているはずなのにね……。

「そんな消極的な感情を打破してくれる(させてくれる)ような素敵な人が見つければ……!」とか期待しちゃってるんだろうけど、そもそもそれが「期待しすぎ」なのかもしれないわけで……。いや、だったらそもそもそんな無理して彼女作る意味ってなんなんだ、そんなことしても疲れるだけで楽しくないだろう、と思ってしまったりする。それなのになぜか異性を求める気持ちだけはいつになっても消えない……。

しょせんオトコなんて……

ここまで来て、ある一つの可能性にたどり着いた。「いろいろ複雑な感情が渦巻いているけど、結局のところ、これってただの性欲なんじゃないの?」って。本当にただそれだけのことなら、風俗に行けば済む話なのだが、童貞を卒業するのにそんな安易な方法で良いのかという、この年(30 歳)まで童貞で居続けたことにトクベツ感を抱き執着している節がある。

だから、ヤリモクとかではない(そんな度胸はないし、向こうが求めてないのに独りよがりで押し通してもきっと気持ちは満たされないだろうという確信があるから)ものの、恋愛をして、自然な成り行きでコトに及ぶ(相手もそれを求めている)ことを期待しているのかもしれない。だけど、そこまで貞操観念を持つとハードルが上がりすぎるというか、相手もそれを求めてくれる関係にまで発展しないといけないから相手を吟味することになって、日常的に湧き上がる欲を晴らすのには時間がかかりすぎる。

そりゃあただ性欲を満たしたいだけなら、わざわざメッセージのやり取りをして実際に会う約束をしてお店の予約をして待ち合わせして会って話をして親睦深めて、それをしばらく(数ヶ月とか?)継続して……っていうのがモチベーションわかないのは当然だよなって。あくまで恋愛として人を好きになって、その延長線上に存在するものであって、目的を違えたら、そりゃ意欲がわかないのも当然だ。

性欲のためだけにそこまでするくらいなら、一人でさっさと済ませてしまえば一時的には欲は抑えられるわけで、それを繰り返していればいいのだが、やはり日常的に常に沸き起こるものだから、一人で解消してもまた湧き、また解消しても湧き……というのを繰り返して、ときおり実際の経験がしたいと思うのは無理からぬことだろう。その要求を手っ取り早く叶えてくれるのが風俗なわけで……。

終われば欲は、露と消える

「あの欲」と「この欲」はよく似ている。シンプルに「塩コショウ」だけで「味付け」しても良いが、それだけじゃあ「味気ない」。ここはひとつ、「あの欲」を使って「あれ」をたとえてみよう。

自宅の「とある電子機器」を魔改造して、夜中にならなければ、また、読書や筋トレなどの日課をこなさなければ、「ご褒美のおやつ」は食べられないという制限を自分に課している。そうすると、「お腹が空いた」ときに「味の濃いおかず」ばかり食べられるわけではないから、「素朴な味のおかず」だけで満足できたりする。「空腹は最高のスパイス」なのである。

「味」だけじゃなく「食感」に関しても同じことが当てはまる。身体から放出される「温かいミルク」とともに、脳内の「ナントカ中枢」を満たせるなら、「巻き寿司」は手で握ろうが道具を使って握ろうが、最終的には同じなのである。結局は「胃の中に入ったら同じ」なのである。「高級和牛ステーキ」を食べても「スーパーの安いサーロインステーキ」を食べても空腹は満たされるのである。

「おかずの選り好み」をしているときだってそうだ。「あれも食べたい、これも食べたい」っていって、少しずつ「つまみ食い」しているうちに、「これからなのに!」ってところで「ついうっかり」満腹になっちゃう。満足したあとでふと、残ったおかずをしげしげと眺めていると、あれ、なんでこんなに「食べたい」と思っていたんだろう……ってなる。「美味しいおかず」を余すことなく全部食べないともったいないという執着である。そしてこの執着が、不満や不完全燃焼を生み出す元凶なのだ。

あるいは、「この先にもっと珍しい食材が眠っているかもしれない!」とひたすら探すことに奔走したりすることもあるが、「白米と卵と醤油」さえあれば、意外にそれで満足だったりするものである(いつもそれだとさすがに「味気ない」こともあるが)。朝目覚めて、ものすごく「食べたい!」と思っていたのに、まずは起きて顔を洗って……とかやっているうちに、「あれ、なんでさっきあんなに「食べたい」と思っていたんだろう?」と疑問に思うことすらある。

つかみどころのない、厄介なマボロシ

常にどこからともなく現れて、強烈な衝動を引き起こすわりには、一過性すぎて、あのときの猛烈な身体の疼きがまるで夢だったかのような摩訶不思議な感覚。それくらい、この欲はマボロシのようにつかみどころがない。そのくせ、ほぼ毎日のように現れるし、その衝動が極まるとやり直しが効かない一手に発展する可能性もある(しかもそのあとは「あれ? こんなことになるなら別に一人で処理すればよかったのではないか?」と思ってしまう可能性もなくはない)から迷惑極まりない………………。

これは日を改めて新たに追加したものなのだが、正直な話、これを書いている今は、なんでこの記事を書き始めた当初はそんなに「食べたい」と思っていたんだろう? って思っている。あのときの記憶ははっきりと覚えているのに、なぜあそこまで強い感情を引き起こしていたのかは、今となってはまったく理解できない。つまり今は「食べたい」という気持ちがまったく起こっていない。だからこそ、一時的な欲求で「高級食材」に手を出して良いのかという疑問が生まれる。

わかっている。「お腹が空く」たびに「簡易的な食事」を繰り返せば、「ナントカ中枢」は満たせることを知っている。今までもそうやって生きてきた。だから、これから死ぬまでずっとそれでやり過ごすことができるかできないかでいったら、間違いなく「できる」のである。そもそも「高級食材」にまったく縁がなく、「それが食べられるお店」も厳しく規制されている国に生まれたなら、考えるまでもなくそうならざるを得ないのである。

しかし、ここ「美食の国ニッポン」は、お金さえ払えば簡単に手に入る環境だからこそ、そこに選択肢が生まれ、行っても良いのか、行くべきじゃないのか、という悩み・苦しみが発生するのである。この苦しみに振り回されるのは、どう考えても不合理だ。こんなくだらない粗ブン(稚拙な文章)なんか書いていないでとっとと行ってサクッと「体験」してくればそれで済む話なのだ。

いざ、大和へ

ちょっと思考が「旅行」もしたくなったようだ。

それはちょうど、日本に住むぼくたちが「アメリカってどんなところなのかな? 先進的で活気があって、毎日がタイクツしない楽しいところなのかな?」と期待に胸を膨らませているのと同様に、アメリカに住む人たちもまた「日本ってどんなところなのかな? 先端技術と古き良き伝統が融合しつつ、アニメやゲーム文化も成熟していて料理も美味しい楽園のような場所なのかな?」と夢見ているのに似ている。

ぼくたちからすればすべてがそんな幻想的な世界ではないというのは当たり前のように知っているが、日本に憧れる(一度も来たことがない)外国人からすれば、身を持ってそれを体験しない限り、そこはやはり夢の楽園(ドリーム・ヘブン)なのだ。渡航したことのない日本人が海外に抱く幻想もまたしかり。それと同じことが「美味しいものを食べる行為」にも起きているような、そんな感じだ。

狼の喉の渇き、猿の悩み

……そろそろたとえ話で継続するのがしんどくなってきたのとややこしくなってきたので、ここらへんで「塩コショウのみの味付け」に戻る。

頭では本当はわかっているのだ。ものすごく恍惚としたトクベツなものであると過度に期待しているだけなのだ。ただ、時間対費用と「体験」のベクトルがあまりにも尖りすぎている(そう感じている)だけで。「だって、赤ちゃんを作る神聖な行為を、遊びとして処理しちゃうんだよ?」って。

でも、「神聖な行為」っていう表現も、童貞のぼくの脳が勝手にそうやって変換して神格化しているだけに過ぎない。実際に赤ちゃんができるわけではないし、コトを済ませた翌日からは、なんの「後腐れ」もなく、またいつもと変わらない日常を送ることになるのだろう。

きっとこの文章を、風俗嬢、あるいは男に困らない女の人が見たら、この童貞はいったい何にそんなに悩んでいるんだろうと嘲笑うだろう。自分でも分かっている。自分のことを客観的に見れば、すごくくだらないこと(この年齢なら統計的にほとんどの人が経験している動物的な満足感が、自分の至らなさにより未だに手に入っていないこと)に悩んでいることは分かっている。だけどどうしても、自分がこれまでの人生で蓄積してきた知識や経験を持った脳と、それを含めたこの身体との同化(完全なる感情移入)から逃れられない。

望めば簡単に手に入る人には理解できない狼の喉の渇き。美人で若くて、立ってるだけで男から言い寄られる女の人には、絶対にわからない(わかりたくもないであろう)猿の悩み。そのとおりだ。分かっているから、甘んじて受け入れよう。ぼくはどうしようもないサルだ。

(そう書いていてふと思い出した。そういえば大人のおもちゃを Amazon で初めて買うときも、履歴がずっと残るのに買って良いものなのかとめちゃくちゃ悩んで苦しんでいた(アカウントを分けることにも抵抗があった、というかこれだけのためにアカウントを分けることのほうがむしろ抵抗があった)。一度買ってしまえば(履歴に残ってしまえば)あとはもう本当になんてことないのにね。)

執着を捨てよ、夜の町へ出よう

恋愛に関してだけで言えば、正直もう自分の人生になにも期待することはできない。容姿が良いわけではないというのももちろんあるのだが、恋愛対象となるどんな相手と会話や交流をしてもうまくいく気がしない。単純に出会いがないから、マッチングアプリでもしないとそもそも縁を作ることすら叶わないわけで、だからこそ、久しぶりに再開してみたのだが………………。

30 年間童貞を貫いてきたけど、風俗デビューしてみようかな。今後の自然な営みが望み薄なら、もはや大切に守り抜く理由もないだろう。童貞を固持することに執着するのではなく、かといってセックスを幻想視するのでもなく、ただ人生経験として体験し、現状のこの渇愛 — それは本当に心から望んでいるものではないかもしれない — を満たしたとき、どう感じるのかを観察するために童貞を捨てるのも、悪くはない気がしてきた。

ソープで童貞を捨てる(素人童貞になる)ことなんて案外なんてことはないかもしれないし、逆に本来なら(自然恋愛なら)絶対に交わることがないであろう美女と肉体が擦れ合うことそれ自体に純粋な楽しさを覚え、それを生きがいに稼ぐことを前向きに考えられるかもしれない(お金は生活するためのただの媒体としか見ておらず、稼ぐこと・働くことにあまりモチベーションを感じていない)。

趣味としてスポーツをするのが好きな人と好きではない人がいるように、またテニスが好きな人もいればバスケが好きな人もいるように、セックスがただの「性欲の解消」ではなく「一種のスポーツのようなもの」として、その行為そのものに楽しさを見出す可能性だってある。でもそれは体験してみないと自分自身もわからない。経験してもいないのに、勝手に「これはただの性欲だから風俗通いで満たされるはずがない」と思い込むのも、それはそれで執着なのかもしれない。

実際に体験したときにどういう感情を抱くかは自分にもわからないが、どのような結末になったとしても、それが渇愛ではなく本当に自分が心から望むものであれば、後悔することはないだろう。仮に将来にわたり何百万円もつぎ込むことになったとしても、それで本当に心が満たされるのであれば、それは有意義なお金の使い方である。お金なんてただの紙切れ(銀行口座の預金額の数字)なんだし、自分の心が本当に満たされているのであれば、誰がなんと言おうとそれは「私」にとっては「正しい」のであり、世間体を気にする気持ちや恥さらしなどの感情に執着しなければ、幸せなはずである。

(モテないこと(恋愛を通してセックスできないこと)をこじらせて、多くの人が自然に通過している儀式を、わざわざ高いお金を払ってまでしに行く哀れなサルだと周りから揶揄されても罵られても甘んじて受け入れよう。そうして自分が社会的に下にいればいるほど、精神的には楽でいられるものだ。また、モテないことやお金を払ってセックスする人をバカにするのは、そうやってバカにして優越感に浸ることに執着することと何も変わりはしないことをぼくは知っている。同じ穴のムジナだ。かつてぼくが「喫煙は、わざわざお金を払って自らガンになるようなもの」だと(頭の中で喫煙者を)罵倒したのと同じように。)

そう言い聞かせて風俗に行くことを正当化しているわけではない。もしかしたら「こうやって童貞をこじらせて、お金を貢いで擬似的な慰めをサービスとしてしてもらわないと、一人で悶々とすることも止められない哀れで可哀想な自分」に酔っているだけかもしれない。もしそうであるなら、セックスという行為をトクベツ視する執着ではなく、むしろ可哀想な自分に酔いしれること(童貞を捨てないこと)それ自体が執着になっていると言える。

あるいは、もしかしたらこれは求めていたものではないと気付き、ただの「経験」として幕を閉じ、また別の、本当に満たされるなにかを前向きに受け入れるための力になるかもしれない。それはやはり風俗ではなく愛する者と心を通わせるセックスかもしれないし、そもそも恋愛ではないなにかかもしれない。いずれにしても「経験」しない限りはそれすらもわからない。

大事なのは、これが渇愛(本当の望みではないもの)なのかそうではないのかを見極めること、観察すること。話はそれからだ。ただ頭の中で風俗に行って良いものなのかどうなのかと理論をこねくり回して考えても結論は出ない。どんなものか気になって気になって仕方がないなら、もはや体験することでしかそのモヤモヤは晴らせない。どんなものであれ、はじめての経験はいつだって怖いことだし、その先に待ち受けているのは絶望や虚無感、やるせなさかもしれないが、どんな結末だったとしても、その瞬間の自分が望んでいるのであれば(「はじめて」でも、それがどんなものかを知り己を理解したいという純粋な気持ちなのであれば)少なくとも後悔することはないだろう。

なお執着にまみれる汚れた人生

こうやって多くの人にとって読む価値のないゴミのような文章をインターネットの海に投棄することそれ自体にも執着をしている自分がいる。こうやって童貞を捨てる前の自分の感情を赤裸々に綴り記録に残すことで、思っていたとおりの結末にならなくても後悔しないようにするための保険として書いている気がする。

あるいは、満を持して臨むことになるから、この貴重な(と思い込んで酔いしれている)童貞卒業の瞬間をしっかりと脳髄に焼き付けて、あとで(この文章を書いたときと同じように)記録に残そうという執着か。自然なかたちで(自由恋愛の延長線上で)卒業するわけではなく、確実に勝てる戦いの場(確実に卒業できる場所)に自ら赴いている分、余計にそういう執着が強くなる気がする。

とことん執着まみれな人生だ。自分のことをサルだなんて、サルに申し訳なくなってきた。一生懸命生きているサルに失礼だ。俺はサル未満だ。サルより醜い自分には、愛する者も彼女もできやしないだろう。今も、そしてこの先も……。

よろしい、ならば……

その瞬間、脳内に声が響いてきた。


「来たる対戦を望むか?」

「情け容赦のない糞の様な対戦を望むか?」

「狂喜乱舞の限りを尽くし三千世界の童貞を殺す嵐の様な快楽を望むか?」

『対戦!! 対戦!! 対戦!!』

「よろしい、ならば対戦だ」


夜中になに書いてんだオレ……。惨め過ぎる…… 😭

でも、オレ本当は……

翌日になった。余計なことを書かずここで終わらせておけば、童貞をこじらせたただの男の夜中の戯言としてきれいに(?)収まっていたのだが、やはり気づいてしまった以上は書いておかねばならぬと思った。

本当は、さみしいだけなのかもしれない。人間関係が希薄すぎて、日常に刺激を求めているだけなのかもしれない。

これは別の記事としてメインで書こうと思っていたのだが、これを語らずにはこの考えに至った理由を説明できないので、もうネタのストックとか気にせずここに書いちゃう。

……と思ったけど、いつもの如くかなり長くなってしまったので、やっぱり別記事にする。結果的には記事を分けられたものの、本来はこういう文脈でこれを書きたいわけではなかったのだが、まあいいか。人生なんて、そんなもんよ。

👉 念願だった完全週休 4 日制の仕事を手に入れ、1 ヶ月も持たずにクビになった件

……とまあ、こういう背景があって、風俗に刺激を求めたい気持ちとこんなんで卒業していいのかという気持ちが激突し、この童貞こじらせ記事を書くに至った。今までも風俗に行きたいと思ったことは何度もあったが、思い返せばそういう気持ちが特に強くて今のようにこじらせていたのは、決まってニートをしていたりして人間関係が希薄なときだった(ニートになるのは今に始まったことではない……)。

そしてそれはマッチングアプリを再開する時期とも重なっていた。今回のように、久しぶりに再開してはやめ、しばらく間が空いてまた再開してはやっぱりなんか違うなとなってやめて…… を繰り返しているが、もう期待もしていないし使うまい、と思っていたのにまたしばらく時間が経つと開いてしまうのは、決まって人恋しくなっているときだった。それも結局は、さみしいからなのかもしれない。人の温かみを知りたいからなのかもしれない。誰かの笑顔が見たいからなのかもしれない。風俗と違って、将来的な関係を求める場だから、もしさみしさを感じて求めているならこっちのほうが根本的な解決になるかもしれないし、風俗で卒業という抵抗も生まれないからなのかもしれない。

だからまずはマッチングアプリを再開するのだが……。しかしやはり何かが違う……。アプリの画面を眺めていても、まったく興味がわかない。ヤリモクではないから、すぐにセックスするのは難しいだろう、なんていう短絡的な邪心を抜きにしても、ここにいる人たちの誰か 1 人と長期的な関係を築けるだろうか、この俺が、という気持ちだったり、もっと言えば、長期的な関係を築けたその先には、はたして幸せは待っているだろうか、といったことまで考えてしまう。「考えてしまう」というか、そういった未来がどうしても想像できない。なんでだろう、なぜか楽しくないと思ってしまう。

それは、恋をしたり愛し合ったりする関係ではなく、世俗的な記号 — 年収、職業、容姿、etc… — を求めていることが見え透いてしまうから? そしてえらそうなこと書いて一歩進んだような口ぶりで語る自分もまた無意識のうちに記号を求めているから? たしかに、自分のことを好きでいてくれる人がいいという純粋な気持ちはあるものの、それがどんなに異性として魅力を感じない容姿の人であってもいいのかって言われると、素直に yes とは答えられない自分がいる……。それはつまり、えらそうに言っている自分だって、そうした記号を求めていることにほかならないのではないか。分からない……。

そしていま、このさみしさを紛らわすために、この退屈した日常を少しの間だけ忘れるために、職を失ったこの虚無感を埋めるために、ニートになることが確定したこの段階で、高いお金を払って風俗に行って童貞を捨てることを考えている。いつ次の仕事が見つかるか分からないのに、早々に貯金を切らして路頭に迷う確率を自ら高めている……。どうしようもないクズだ。

マッチングアプリもなんか違う、今は仕事をしたいとも思えない。でも人の温かみは欲しい、この退屈した日常を忘れて刺激的な経験をしたい…… そのために、こんな気持ちで、こんなかたちで、童貞を捨てることを決断しようとしている。本当の望みは、肉体が触れ合う快感を味わいたいわけではないかもしれないのに。どうしたらいいんだ……。

モンモン村のムラムラ門

ここから先は公開してから追記している。

この記事は 26 日の夜あたりから書き始めた気がするので、公開するまでに数日かかっている。感情の赴くままになぐり書きしていたので文章構成を整理するのがめんどくさかった。また、『念願だった完全週休 4 日制の仕事を手に入れ、1 ヶ月も持たずにクビになった件』で書いたとおり、念願だった仕事を失い(これこそが理想だと思っていた仕事がいざ始まったら全然意欲を持てなかったことが)ちょっとショックで虚無感に襲われていたというのもあるかもしれない。もしかしたらまたニートに逆戻りしたことがショックで自暴自棄になっているだけかも? とも思ったり……。

また別の案件を見つけて労働に復帰したとしても、セックスという行為への憧れというか執着から解放されることはない。そして多かれ少なかれこうした悶々とした感情を今後も日常的に抱き続けて苦しむくらいなら、自暴自棄だろうがなんだろうが勢いのあるときに執着とともに「えいや」と思い切って童貞を捨ててしまうのもありなのだろうか。無収入になって貯金が減る一方だけど。

ただ、さっき書いたとおりこの記事は数日かけて書いているんだけど、公開した今となっては風俗デビューしたい欲は薄れている。というか、勢いで執筆していた 26 日夜から 27 日の朝方(約 7 時間)にかけてはムラムラしすぎて 3 発も自分で抜いていたけど、今これを書いている段階では最後に抜いてから丸 2 日していない。いま考えればなんであんなに渇望していたのか……。

だから、やっぱりこんな書き始めたときのような衝動で決断して、一度しか行われない卒業式の幕を閉じていいのかなってずっとモヤモヤしている。でもそんなこと言ったって、いずれまたムラムラするし、それがこれからも日常的に何度も何度も繰り返されるわけで……。マッチングアプリ(Omiai)は新しいマッチもマッチしている人からの返信も静かになって、状況的にもうダメそうだし……。

風俗嬢からすれば、何百人、何千人と相手するなかの一人でしかない。こちらがこんなに悩み散らかしていても、向こうにとってはコンビニに来る客の対応と同じ程度の「トクベツ感」でしかない。初めての体験にこちらの「トクベツ感」は絶頂に達し、思い切り筆を下ろされる快感に脳髄が焼かれ中毒に冒されていったとしても、何事もなかったかのように機能してゆく。私はこの世界が恐ろしいのだ……。

はぁーあ、クソニートがなに書いてんだ……。とりあえず、丸 2 日ぶりに 1 発抜くか……。そして夜まで寝て、今後のことは、それから考えよう……。

2025 年 11 月 24 日に注文してそのまま使わずに棚にしまっていた TENGA でも使おうかな。1 個あたり 1 度きりしか使えないからもったいなくて全然使えなかったんだよな。ソープも 1 回のサービスでは限られた時間内しか遊べないから、「1 度きり」という意味では似ているな。しかし、料金が数万 〜 数十万だから、まあ、「凄い商売」だよな。ラストエリクサーがもったいなくて使えないみたいなのと一緒だ。ほんと何いってんだ。

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