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愛とは何かを悟った

無条件でこそ、愛なのだ。

愛とは何かを悟った

あるカップルの会話

女性:「ねえねえ、この日に近くで大きな花火大会があるんだって! 屋台もたくさん出るらしくて楽しそう! この日って空いてる……?」

男性:「お、いいね。花火見るのは久しぶりだし、君の浴衣姿も見たいしね。ちょっとスケジュール確認してみる」

そういって予定が空いているかを確認する男性。

男性:「あー、この日は仕事が入っちゃってるなあ……。でも大丈夫、有給を使ってお休みすることにするよ」

女性:「そんな! いいよいいよ。小さい花火大会なら他にもあるし、私のために無理して合わせなくて良いって! また今度空いているときに一緒に行こ!」

男性:「いや、オレがその日に君と一緒にその花火大会に行きたいんだ。オレがしたいからそうするんだ。なんか文句あるかい?笑」

女性:「ううん。文句なんか何もないよ。じゃあ、その日は楽しもうね」

ある夫婦の会話

女性:「ねえ、あなた。いつも気遣ってくれてありがとう。優しくしてくれてありがとう」

男性:「お礼を言われることではないよ。そうしたくてやってるんだ」

女性:「そうだとしても、本当に感謝してる。いつも『愛してる』って言ってくれてありがとう」

男性:「ぼくが愛したくて君を愛しているんだ。それ以外に理由はいるかい?」

女性:「そうね。私も愛してるわ、あなた」

男性:「何があっても、ぼくは君の見方だよ」

愛とは

愛とは、無条件で与えられるものである。条件をつけたら、それは愛ではない。

だって、そうだろう。「スタイルがよくて惹かれる」だけなら、太ったら惹かれなくなるだろう。「お金を稼げる能力があるのがカッコいい」だけなら、会社をクビになって収入が落ちたらカッコよくなく見えなくなるだろう。「優しいから好き」だけなら、優しくなくなったら好きではなくなるだろう。

キレイゴトだ。そんな脳みそお花畑な理想的な関係は、この世に存在しない、現実が見えていない。ぼくもついこの間まではそう思っていた。

でも、すべての執着から解放された今、それがあることを悟った。もちろん一筋縄ではいかない。乗り越えるべきハードルも存在するだろう。

この世のすべてが縁起で成り立っていることを知ったとき、人間には産まれながらにして愛があることを悟った。その愛が、生きていく上で様々な執着にまみれ、姿を隠してしまっていただけなのだ。

愛とは、蓮のようなものだ。どれだけ穢れた泥の中でも美しく咲く。どんなに周りが汚れていようが、蓮は穢れない。

ただ、泥に埋もれてその美しさが見えなくなることはある。それが憎しみだ。あんなに愛し合っていた夫婦が憎しみ合うのは、蓮が穢れたのではなく、泥にまみれただけなのだ。

愛は無条件だ。無条件でこそ、愛なのだ。

思い上がるのもほどほどに

「オレが君と一緒に花火を見たいからその日は会社を休むんだ。君のために休みを取ったなんて、思い上がるのはやめてよ

「君によく思われたいから、感謝されたいから『愛してる』って言ってるんじゃない。君にもぼくを愛してほしいから愛しているわけじゃない。ただぼくが愛したくて君を愛しているんだ。『愛してくれてありがとう』だなんて、思い上がるのもいいけどほどほどにね

こんな幸せな関係を築けるパートナーと、いつか出会えたらいいな。出会えなくても「ま、いっか」。

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