アドバイスよりも、自分の心を信じよう
善意の助言でも、それがあなたにとって正しいとは限らない。迷ったとき、最後に頼るべきものは何か。
助言は必ずしも正しいとは限らない
多くの教訓では、他人の助言やアドバイスは素直に聞き入れたほうがいいという。果たして本当にそうだろうか?
たとえば、あなたに好きな人ができたとする。付き合いたいと思っており、告白しようと考えているが、フラれることが怖くてなかなか決断できずにいる。なので、どうしたらいいのか友人に助言を求めることにした。
友人はこういう。「あなたが好きなあの男(女)は実は浮気性で、いろんな女(男)と関係を持っているらしいよ。だからやめたほうがいいよ。きっとあなたも裏切られるよ。」
あなたはこの助言を聞き入れるべきだろうか? もしかしたら、嫉妬心でこのように言っているだけかもしれない。あなたが告白をして、もし成功したら、あなたは好きな人と付き合えることになり、幸せな日々を過ごすことができるかもしれない。一方でその友人は(この関係を友人と呼べるかどうかはさておき)恋人がおらず、ほしいと思っているがなかなかできず苦労していたとする。なら、あなたが先に恋人を作ることに対して一種の嫉妬心を燃やし、それを阻止するべくこのように助言の体をなして、いかにも告白しないことが論理的に正しいかのようにあなたにささやいているだけかもしれない。
しかしそれは常にあなたに幸せをもたらすとは限らない。その友人は嫉妬心で心が歪み、嘘をついているのかもしれないし、仮に本当にあなたの好きな相手が浮気性だったとしても、浮気性の恋人と付き合うこと = 不幸になる、とは限らない。これはあくまで一例だが、その相手は本命と遊び相手を明確に分けており、あなたが本命になる可能性もありえる。それがわかっていれば、浮気が発覚したときに怒りや喪失感に苛まれて不幸になったと感じることはないかもしれない(念のため断っておくが、浮気が良いと言っているのではない、あくまでただの一例だ)。
善悪は関係ない
これは極端な例であり、そして悪意を持って行われている一例だが、ときに助言やアドバイスはこうした悪意がなくてもあなたをより良い方向に導くものとは限らないかもしれない。相手は、本当にそれが正しいと思い、親切であなたにアドバイスをすることがあるかもしれないが、それがあなたにとって幸福とは限らない。
たとえば夢を追い求めるかどうか? という問いに対する助言がまさにそうだ。イチロー選手はこどものころ勉強もできたらしい。そして周りの先生は彼に野球なんかやらずに勉強していい学校に進学することを進めた。彼がその助言に従い野球をするのをやめ、勉学に励んだら、きっと世界で活躍するプロ野球選手にはなっていなかっただろう。そして先生たちはその助言を、悪意を持って行っていたわけではないというのも、容易に想像できるだろう。
注意しておきたいのは、それがいいとか悪いとかいうことではないということである。もしイチローが野球選手になる道をやめて勉学に励んだ結果、彼にとってより幸福な人生を送っていた可能性もゼロではない。大切なのは、結果がどうなるかではなく、自分がどうしたいか、どう感じるか、だ。
本当の答えは自分の心の中にある
助言やアドバイスを受けたときに、それを聞き入れるべきなのか、あるいは助言に感謝しつつもそれに従わずに自分の信じた道を進むべきなのか、どうすればいいのか迷うことがあるかもしれない。しかし、あなたは本当はどうすべきかわかっているはずだ。相手に悪意があるのかどうかを知ることはできないかもしれないし、知る必要はない。大事なのは、自分がどうしたいかだ。
アドバイスを聞いたとき、それがカチッと自分の心のなかでハマる音がしたなら、そのアドバイスは聞き入れるべきである。もしそうではなく、どこかにもやもやする感覚があったのなら、それは聞き入れなくて良い。
もちろん、だからといってそのアドバイスをしてくれた人をないがしろにしろと言っているわけではない。助言をしてくれたことに感謝し、自分の信じた行動を取る、ただそれだけでいい。
自分がどうすればいいのか迷ったときこそ、直感に従おう。
