老後のことを心配するやつはバカ 俺が論破してやるからちょっとこっち来い
未来は天才ですら予測不可能だし将来に不安を抱えるのは人間のデフォルトだが時間の無駄なので、今に意識を向けて自分が今できることをやっていこうというお話
『今』を生きよ。
未来は予測不能
自分は(というか人類は)将来に強烈な恐怖や不安を抱きやすい性格だが、東洋哲学や仏教の考え方を学んでいるうちに、「数十年先のことや老後のことを心配をするのは時間と労力の無駄じゃね?」ということに気づいたので、なるべく論理的に自分の言葉で言語化してみようと思う。
まず、老後は今から数十年先(あるいはそれ以上)と定義する。現代社会は変化が激しすぎて、数年先ですら予測するのが困難である。2008 年にスマートフォン(iPhone)という、今では誰もが所有している画期的なデバイスが登場することを、たとえば 2000 年当時の人間の何人が予想できただろうか。AI がこれだけ急速な成長を遂げて多くの人々が当たり前のように使うことを、2020 年当時の人間の何人が予測できただろうか。AI という言葉はそれよりも前から存在していたが、それがどのように浸透し、どのように人々の生活を変えていくかは、多くの人が予想がつかなかったはずだ。
ましてや、数十年先の未来がどうなるかはわかるはずもない。10 年先くらいまでならかろうじて未来予測が得意な天才くらいなら予想できるかもしれないが、それだって確定的ではない。ならば、天才でもない多くの人が、しかも天才を含めほとんどの人が予測不可能な数十年先の未来を、どうして予想できるだろうか。めっちゃ過激な言い方をあえてすれば、「天才ですら予測できない数十年先の未来を、お前ごときの脳みそで予想するとか思い上がるのも大概にしろ」だ。
安心の神話
年金があるから安心? 日本ではかつて年金が消えたことがある。自分で貯金してれば安心? これからどんどん円安が進んでいけばその価値は目減りするし、それに加えて世界的に物価が上昇すれば、今は大丈夫でも数十年先は生活できないかもしれない。
投資や資産運用をしていれば安心? もしかしたら数十年後には共産主義の勢いが急速に進んで資本主義で有効だった資産が紙切れ同然になるかもしれない。ロシア帝国がソ連になったとき、もともと資本家で裕福だった人がどうなったか、そして当時、その人たちがロシア革命が起きて資産が国に奪われることを想像できていたと思うかどうか、考えてみると良いだろう。そんなことにはならない? ではなぜ資本主義の権化であるアメリカで共産主義的な思想が広まるのだろうか。
もっと根本的で身も蓋もない例を上げれば、どんなに今が盤石だったとしても、明日、外に出て飲酒運転をした車にたまたま居合わせて、跳ねられて死ぬかもしれない。じゃあ外は危険だから、今後の人生、一切外に出ずに暮らすのか?
考えればキリがない。究極的に不安や恐怖を回避したいなら、外は危険だから外出すべきではないし、出社が必要な会社ならフルリモートが OK な会社に転職すべきだし、多少高くても外出しないために毎食 Uber にすべきだし、日本はいつ巨大地震が来るかわからないから海外に逃げるべきだし、そのために外国語を勉強すべきだし、仕事をクビになる可能性があることを考えたら趣味にお金は使うべきではないし……。
馬鹿げていると思っただろうか? だが、老後のことを心配するのもこの延長線上にあるだけだと思う。不安を抱えるのはストレスを抱えるだけで無駄だし、不安を抱えることを是とするわりには、その対策はみんな中途半端だ。不要不急であってもみんな当たり前のように外出するし、飛行機よりも事故率が高いのに遊園地でジェットコースターには乗るし、クラゲに刺されてアナフィラキシーショックに陥るリスクはあるのにサーフィンはするし、アニサキスに感染するリスクはあるのに刺身は食べるし、子どもは(まだ)望んでおらず感染症のリスクもあるのに好きな人と濃厚接触はする……。矛盾だらけだ。
いたずらに不安を煽りたいわけではない。ここで言いたいのは、未来に対する不安は、考えようと思えば無限に考えられるから、考えても無駄である、ということである。人間は未来の生存確率をなるべく上げるために、未来について思考できるように脳が進化し、また積極的にそれについて考えるようにするために、将来に不安を抱くというネガティブな感情を持つという能力を獲得した。いわば 人間の脳は不安製造機 である。不安を考える能力については他の追随を許さないだろう。
しかしそれがうまく機能していたのは、今では想像もできないほどの弱肉強食で、かつ世の中の変化がほとんどない原始時代の話。現代社会は変化が激しすぎて、いくら将来に不安を抱いてその不安を避けるために行動したとしても、そのとおりにはならないことがほとんどだし、不安や恐怖に支配されて今やるべきことすら手につかなくなったら本末転倒である。
残りの人生で一番若いのは今この瞬間
残りの人生で一番若いのは今この瞬間である。年配はみな口を揃えて、若いころの時間は貴重だと言う。年を取ると体力も意欲も衰えるし、若いころにしか経験するのが難しいこともある。
その、残りの人生で一番貴重な時間を、老後のことを心配して不安を感じることに使うのは、どう考えても論理的じゃないし時間の無駄 だ。そんなことをしている暇があったら、今やるべきこと、今やりたいことに全力を注ぐべきだ。
決して、未来のことをちゃんと考えている自分は論理的だとか賢いとか堅実だとかまともであるとか、将来のことを考えずに生きてるやつはバカだとか思い上がってはいけない。それこそが原始の脳が作り上げた感情の罠であり、地獄の始まりである。自分自身を苦しめる自分の脳の思うツボなのである。原始の脳は、あなたをただ死なせないために存在しているのであって、決して充実感や幸福を与えてくれるわけではない。
3% のために 97% の可能性を捨てる人生
おそらくこの文章を読んで反論したい人もいるだろう。何も考えずに能天気に生きている奴らが得をして、将来のことも考えながら真面目にコツコツ働いて生きている自分たちが割りを食うのは不公平だと思うからだ。そして我々の脳はネガティブな感情を抱いて、それに対策して行動することが本能に染み付いており、それをやめろというのは本能に抗う行為だからだ。あるいは将来について真面目に考えて行動できる人が安定した幸せな生活を送れるようになり、それこそが模範的な生き方であると 洗脳 教育されるからだ。
でも、もう一度よく考えてみてほしい。どれだけ対策を施しても、未来を完全に予測できない限りはその努力は無駄になるかもしれないし、仮にうまくいったとしても、それだとこの先数十年、ずっと不安を抱え続けながら生きていくことが確定する未来を、あなたは本当に生きたいと思うのか? 老後のことについて数十年以上考えて考えて考えて悩み続けて行動した結果、その努力が報われて死なずに済んだとしても、それでよかったね、幸せだね、とあなたは胸を張って心からそう言えるのか? 能天気に生きてるやつらを恨むと、そいつらにバチが当たってスッキリして、あなたは幸福になるのか?
だから努力するのを諦めろという意味ではない。努力のベクトルを間違えるなということである。一生懸命勉強していい大学に入るのは、官僚になって世の中を良くしたいとか医者になって苦しんでる人々を救いたいという夢を叶えるためであって、(とりわけ自分がしたいわけでもないことをして)将来安泰で安定した生活を社会に約束してもらうためではない。目的を間違えると、いくら努力をしても虚無感だけが残り、不安は消えず、はたからみて安泰でも幸せにはなれない。
同じように、今の自分が本当にやりたいことを犠牲にして老後のことだけを考えた努力を続けていたら、必ず後悔するときが来る。きっと死ぬ間際になって、若いころにこれをやっておけばよかった、あれをやっておけばよかった、と後悔することになるだろう。明日死ぬ可能性だってゼロじゃないのに、ずっと先の未来のことを心配して自分の行動に自ら制限をかけ、死ぬ間際に後悔までする人生を送りたいか、今を全力で生きて毎日を充実したものにし、いつ死んでも後悔しない人生を送りたいか、決めるのはあなた次第だ。
もう一個補足しておくと、人間の心配事の 97% は、実際には起こらないか、起こっても大したことではなかった、という研究結果が出ている。97% の杞憂を潰すために残りの人生で一番若い今この瞬間を犠牲にし続ける人生と、3% の確率で訪れる嫌な出来事は仕方ないと受け入れつつ今を全力で楽しく生きる人生、どちらの人生がいいかを選ぶのはあなた次第だ。
『今』を生きよ。
無思考のすゝめ
とは書いてみたものの、これだけだと厳しすぎるかなと思ったので最後に軽くではあるが具体的な手法について書いておく。過去の失敗を自責したり、未来の不安を憂いたりするのは、人間のデフォルトである。だから、そうした感情を生み出さないようにするのは残念ながら不可能である。
しかし、そうした思考がネガティブな感情を作り出し、苦しむことを最小限に留めることはできる。それは、考えるのをやめること だ。もう少し正確に言えば、そうしたネガティブな感情がわくたびにそれに気づき、落ち着いて今やっていることにまた戻る、これを繰り返すことだ。試す前は、そんなんで悩みが消えるなら苦労はしないと思うかもしれないが、実際に試してみると思った以上に心が軽くなってくるものだ。
繰り返しになるが、もちろんこれですべての悩みを抱えなくなるわけではないし、ネガティブな感情が完全に消えるわけでもない。それを目指すとかえって苦しむことになる。だが少なくとも、ただ原始の脳に支配されっぱなしになるよりは楽になるはずだ。
ぼくの書いた文章が気に入らない人のために、もっと優しくて元気を与えてくれる本を紹介する。言っていることの本質はここで書いたことと同じだが、ここまで読んでいまいち納得できない(が、理解したい)人は読んでみるといいだろう。
あとがき
「老後のことを心配するやつはバカ」とか言っちゃってごめんなさい。ぼくもかつてはバカでした。でもこれくらいインパクトのある言葉で伝えたほうが価値観のアップデートはしやすいと思うし、自分の中でも衝撃が強かったからこそ脳をなだめることができたのではないかと思っています。
思い返せば今までの人生は、何かに悩んでいるときほどうまくいかなくて、かといってそれに対し積極的に対峙し考え抜くことで打開策が見いだせるわけでもなく、どうにも解決できずに脳がキャパオーバーに達し、吹っ切れて自分がしたいように自由に振る舞っているときほどうまくいっていたということを思い出しました。時が経つとその成功体験は忘れ、再び元のネガティブ思考に戻る……というのを繰り返していました。繰り返すと言っても人生の殆どは悩みの連続で、極稀にそうした「無敵モード」が訪れるだけでした。
しかし今はこの考え方を明確に理解し意識的に日々の生活に取り入れることにより、「今この瞬間」に限らず 「この考え方を忘れず実践し続ける限りは、今後どんなことがあっても大丈夫だ」という「根拠なき自信」まで生まれるようになった から驚きです。考え方ひとつでここまで変われるものなのかと自分自身に驚きました。
なんで突然最後にこんな柔らかい言い方で締めくくろうとしたのか自分でも不思議ですが、批判的なコメントが来るのを「恐れて」マイルドな終わり方にしようとしている節があるので、自分自身もまだまだ修行の身です。
