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環境を変える前にまず自分の考え方を変える努力をしてみる

現状に文句を言っても始まらない。まずは自分の心のあり方を変える工夫をしてみる。

最近、仏教の考え方を参考にしているんだけど、考え方を意識するのって大事だなと思うようになった。

たとえばリモートでいい会社で働くのと出社を求められる会社で働くことを考えてみる。通勤の時間が無駄とか、電車に乗るのが苦痛とか、オフィスの緊張感のある雰囲気のなかで仕事するのが苦手とか、仕事の合間に洗濯や食器洗いなどの家事を済ませられないのが非効率に感じるとか、様々な理由でリモートを好む人は多いと思う。そういう人にとって、出社しなければならないのは苦痛でしかないと思う。

でも、直接顔を合わせてコミュニケーションを取ることが好きな人もいる。直接会って話をすることで親睦が深まったり、そこから始まる雑談で思いもよらない良い話が聞けりするなど、たしかにメリットもあると思う。

大事なのは、リモートのほうが(自分の生活にとって)効率的とか生産性が上がるとかではなくて(それも大事かもしれないけど、それ以上に)どういう気持ちで外部環境に向き合うか、だと思う。いま自分が置かれている環境に対してなにか不満を持っている(先の例では出社したくないけど今勤めている会社ではそれを求められる)として、多くの場合は(自分も含め)環境を変えることでそれが解決できる、逆に言えば、環境を変えなければこの不満・ストレスを抱え続けることになると思いがちだ。

しかしここで、大事なのは気持ちの持ちようだという発想の転換をすると、別の選択肢が出てくる。出社しなければならない現状に対して、いかに心地よさを感じるか、そのためになにができるかを考えて、不快な感情を減らすか、というアプローチができるのではないか。

たしかに環境を変えるのも一手だと思う。それを否定するつもりはない。どうしても出社するのが苦痛なら、リモート OK な会社に転職することでそれが解決するっていうのはもちろんある。それで仕事に対する不満のほとんどが解決するなら、それはいい手だと思う。

でも、ときには環境を変えることが困難な場合もある。転職することならある程度実現可能かもしれないが、これが今後一切働きたくないから、キャッシュで今すぐ 10 億円ほしいとかになってくると、ほとんどの人にとって実現可能性がかなり低くなる。そしてこれが叶わないことに対して常に不満を抱き続けるのは、本人にとって苦しみを生むだけの結果にしかならない。

それに、さっきの出社の有無の例で言えば、不満因子が本当に出社したくないというただ一点のみなら、リモート OK の会社に転職することで解決するかもしれないが、人間の心は欲深いもので、そう単純にはいかないことが多いことは、おそらくほとんどの人が実感として理解していると思う。環境を変えてもこうしたマインドセットを変えない限りは、また別のことで不満を持って転職したくなるかもしれない。給料が低い、嫌な同僚がいる、残業時間が長い、Slack で即レスを求められる、上司と波長が合わない……。転職を繰り返す・環境を頻繁に変える心理は、まさにここにあるように思う。

もちろん、ブラック企業に務めているとか、親に虐待されているとか、本当に環境を変えないとまずいケースもあるけど、そうじゃないなら、まずは自分の考え方を変える、自分が今感じている不満を生み出す環境を直接的に変えなくても、楽しいと思えるような工夫をするのが大事だと思う。

実際に出社のほうが好きだという人がいることは事実。ならば、自分が出社に対して文句ばかり言っているのは、自分が苦しいだけで何の解決にもならない。環境を変えられたとしても、自分の考え方を変えない限りは、また別のところに不満を感じて、こうしたストレスをずっと感じ続けることになる。

出社が嫌だと思っていても、電車に乗っているときはふだん家ではしない読書をする良い機会だと考えてみる、同僚と他愛もない雑談する機会を意識的に増やしてみる、帰宅するときは一駅手前で降りて運動をしてみる……。不満を言っているだけじゃ何も変わらないと、気づいて、なにか少しでもプラスになるように工夫できないか? と考えることで、道が開けることがあるかもしれない。

その手段は人によって異なるだろうし、一つ試してあまり納得できなかったら、また別のことを考えて試してみる。こうした工夫の積み重ねで、いつか自分にとって心地よさを感じるスタイルが確立し、あれだけ不満に感じていた出社というストレスは気づいたら感じなくなって、快適な生活を送れるようになるのではないかと思う。

えらそうに語っているけど、筆者自身もまだその道の半ばで、こうしたマインドセットを積極的に取り入れて意識するように取り組むようにしている。世の中、不公平だと思うし、なぜ自分ばかり不遇な状況で他の人と同じ土俵に立たなければならないんだとやるせない気持ちになることはあると思う。

だけど、自分よりも恵まれていない環境で育ったのに、社会的には失敗の烙印を押されるような地位にいるのに、自分よりも幸せそうに生きている人は意外にいるものだ。その人たちと自分の違いはなにかと考えると、やはり心の持ち方の違いに帰着するのではないかなと思う。現実に対して文句を言うのは簡単だけど、その考え方にとらわれると、苦しくなるのは自分だということに、ようやく気づいた。

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